こんなことってあるのか…と感じてしまう、そんな偶然は「奇跡」と呼ぶのだろう。
自分自身の意思のうちにおける出来事に、僕は奇跡はないと思っている −つまり全て必然である。なりたい自分になる、欲しいものを手に入れる… 事象が自分の意図によって手繰り寄せられることは偶然ではなく必然だと思う。
しかし、自分の意志ではどうにもならない出来事にぶつかることは偶然であり、その確率が極めて低いものを
人はミラクルと呼ぶ。
そんな奇跡に、久しぶりに出会った −しかもダブルで。
◆
1通のメールが飛び込む。Facebookの友達申請だが、そこには懐かしい名前が表示されていた。
独立したての頃、コンサルタントとしてお付き合いした企業の社員からだった。
当時僕は経営陣の社外役員として組織・人事周りを統括していた。そのスタッフは年が10も離れた当時20代前半の若手。密に接することはなかったが、数多い社員の中でも比較的気軽に話した記憶は残っている。
僕がその企業からEXITしてから5年… 「今仙台の実家にいます!」という近況報告。しかも、このメールが届いたのは、奇遇にも仙台出張の前日だったのだ。
もちろん帰り際に仙台駅近郊で再会したのは言うまでもない。
◆
お互いの近況報告や当時の懐かしい話に花を咲かせ、「今度は牛タン屋を案内します!」という約束のもとに別れた10分後。
新幹線のフロアのコンビニ(キオスク)で、0.2秒ほど目があったビジネスマン。
ふと数ヶ月前に同じくFacebokでつながった、97年にベンチャー企業創業時の先輩の名前が脳裏に浮かんだ。
とはいえ、まさかこんな東北で、しかも最後に顔を見たのは僕が辞める日以来ゆえに、お互い歳もとってるし外見の記憶など曖昧であるのは事実。まさかね…と思いながら商品を選ぶ。
しかし、会計時にバッタリとFace to Faceで向き合い、お互いに自然と「もしかして…」と口を開く。
「やっぱり!!」
なんと15年ぶりの再会である。しかも、お互い仙台という出張の地で。
これをミラクルと言わず何て呼ぼう?かくして名刺交換をし、言わずもがな東京で再会することに。
26歳の時にベンチャー立ち上げに参画し、また独立したてのコンサルティング先で出会った方々とのダブルの
ミラクル再会@仙台… 大変だった当時の出来事を懐かしく思い出しながら帰途につく。
やはり、人とのつながりが人生を面白くするのだなぁ。
自分自身の意思のうちにおける出来事に、僕は奇跡はないと思っている −つまり全て必然である。なりたい自分になる、欲しいものを手に入れる… 事象が自分の意図によって手繰り寄せられることは偶然ではなく必然だと思う。
しかし、自分の意志ではどうにもならない出来事にぶつかることは偶然であり、その確率が極めて低いものを
人はミラクルと呼ぶ。
そんな奇跡に、久しぶりに出会った −しかもダブルで。
◆
1通のメールが飛び込む。Facebookの友達申請だが、そこには懐かしい名前が表示されていた。
独立したての頃、コンサルタントとしてお付き合いした企業の社員からだった。
当時僕は経営陣の社外役員として組織・人事周りを統括していた。そのスタッフは年が10も離れた当時20代前半の若手。密に接することはなかったが、数多い社員の中でも比較的気軽に話した記憶は残っている。
僕がその企業からEXITしてから5年… 「今仙台の実家にいます!」という近況報告。しかも、このメールが届いたのは、奇遇にも仙台出張の前日だったのだ。
もちろん帰り際に仙台駅近郊で再会したのは言うまでもない。
◆
お互いの近況報告や当時の懐かしい話に花を咲かせ、「今度は牛タン屋を案内します!」という約束のもとに別れた10分後。
新幹線のフロアのコンビニ(キオスク)で、0.2秒ほど目があったビジネスマン。
ふと数ヶ月前に同じくFacebokでつながった、97年にベンチャー企業創業時の先輩の名前が脳裏に浮かんだ。
とはいえ、まさかこんな東北で、しかも最後に顔を見たのは僕が辞める日以来ゆえに、お互い歳もとってるし外見の記憶など曖昧であるのは事実。まさかね…と思いながら商品を選ぶ。
しかし、会計時にバッタリとFace to Faceで向き合い、お互いに自然と「もしかして…」と口を開く。
「やっぱり!!」
なんと15年ぶりの再会である。しかも、お互い仙台という出張の地で。
これをミラクルと言わず何て呼ぼう?かくして名刺交換をし、言わずもがな東京で再会することに。
26歳の時にベンチャー立ち上げに参画し、また独立したてのコンサルティング先で出会った方々とのダブルの
ミラクル再会@仙台… 大変だった当時の出来事を懐かしく思い出しながら帰途につく。
やはり、人とのつながりが人生を面白くするのだなぁ。
三寒四温が続く中、早春恒例の「春の合宿の嵐」。
今年は12週連続で関東あちこちのエリアでさまざまな合宿がラインナップ。今週末ようやく折り返し地点に差し掛り、まだ桜が満開の山から久しぶりに街に降りてきた。
企業サイズは大企業からベンチャーにわたり、階層もいろいろ。この時期のオーダーは、事業年度が変わり新しい組織や事業部編成、人事異動があるため、「組織・チーム強化」が多くを占める。
企業や組織の結束に欠かせない、人的資産要素の一つである。
◆
チーム強化・チームビルディング …簡単に言われる言葉だが、人間の感情論や心理までとらえた本物のチーム強化は、実は容易ではない。
チームビルドの案件をいただくたびに、必ずクライアントに過去に内外問わずどのようなチームビルディング教育を施行してきたかヒアリングしている。そこで出てきた外部に教育を委託した際の調査意見の多くが「楽しい・苦しいだけで効果がない」「継続性がない」という結果であり、不平不満を抱えていることが判明している。
実際にどこの企業で、どのような方法だったのかまで詳細に把握すると、とんでもない実態が見え隠れする。
例えば、単にロールプレイやゲーム程度の「遊び」でチーム強化などとしていたり、恐怖政治的に○○キロウォークラリーなど無理難題を押し付けて「やらされ感」しか残らない低次元の方法論がまかり通っていたりする。
そこに大きな疑問を抱き、自社では組織活性化のコンサルティングとエデュケーションを行っているが、これまでチームが結成され、強い絆で結ばれるまでの過程や、心理変化プロセスなどを研究をし、方法論を築き上げてきた。同時に調査機関も正式に併設し、理念やチーム強化の本質の追及を行っている。
その結果、真のチーム強化とは、一人ひとりの仲間への思いがぶつかり合い、1+1が3以上になる化学反応を起こし、同じ目的・目標のもとに全員が主体的に能動的に動く「エンジン」になることである、と確証を得た。
つまり、感情や心理の本音のぶつかり合いなくして、本物の人間関係は築かれることは絶対にない。教育後のチームが強化された状態とは、怒りや悔し涙・達成時の歓喜という、単に喜びだけではない“感情の自然な発露”がその過程になければならない。
最もケンカしあった人が、その後親友になったりすることと同義である。
◆
実際、我々のプログラムでは、思いっきり感情を揺さぶり、自然と本音や地の性格が露呈するよう、心理学的要素を取り入れて戦略的に構成されている。ゆえいに、多くの参加者が悔し涙や喜びの涙を流すし、参加者同士のケンカが多発する。それらの全て、自分自身やメンバーの不甲斐なさや反省論から涙するのである。
まさにこれが参加者自らお互いを刺激し、本音や本人の素の性格が化学反応している証拠である。つまり、プラス感情だけでなく、マイナスの感情もごちゃ混ぜにぶつけ合って初めて、相手の本音が見えてくる −この状態がチームに結束が生まれる必要不可欠な要素である。
そして合宿最終日に、一皮むけた人間関係へのスタートラインに立ったと十分に感じられる参加者の晴れ晴れとした姿や想い・言動に、本人たちだけなくオブザーバーですら感動の涙を流す。− 彼らの変化ぶりが、あたかも自分事のように。
今年の前半戦5回の合宿は、参加した社長や人事トップなど全オブザーバーが泣いた。泣くことが全てを証明するとは思わないが、少なくとも心に響き刺さっている証拠と捉えることはできる。
続く後半戦はGW明け、東証一部の大企業の経営幹部が毎週焚き火を囲んで、自社の将来を語り描く。それまではしばしの間、心を休めよう。
今年は12週連続で関東あちこちのエリアでさまざまな合宿がラインナップ。今週末ようやく折り返し地点に差し掛り、まだ桜が満開の山から久しぶりに街に降りてきた。
企業サイズは大企業からベンチャーにわたり、階層もいろいろ。この時期のオーダーは、事業年度が変わり新しい組織や事業部編成、人事異動があるため、「組織・チーム強化」が多くを占める。
企業や組織の結束に欠かせない、人的資産要素の一つである。
◆
チーム強化・チームビルディング …簡単に言われる言葉だが、人間の感情論や心理までとらえた本物のチーム強化は、実は容易ではない。
チームビルドの案件をいただくたびに、必ずクライアントに過去に内外問わずどのようなチームビルディング教育を施行してきたかヒアリングしている。そこで出てきた外部に教育を委託した際の調査意見の多くが「楽しい・苦しいだけで効果がない」「継続性がない」という結果であり、不平不満を抱えていることが判明している。
実際にどこの企業で、どのような方法だったのかまで詳細に把握すると、とんでもない実態が見え隠れする。
例えば、単にロールプレイやゲーム程度の「遊び」でチーム強化などとしていたり、恐怖政治的に○○キロウォークラリーなど無理難題を押し付けて「やらされ感」しか残らない低次元の方法論がまかり通っていたりする。
そこに大きな疑問を抱き、自社では組織活性化のコンサルティングとエデュケーションを行っているが、これまでチームが結成され、強い絆で結ばれるまでの過程や、心理変化プロセスなどを研究をし、方法論を築き上げてきた。同時に調査機関も正式に併設し、理念やチーム強化の本質の追及を行っている。
その結果、真のチーム強化とは、一人ひとりの仲間への思いがぶつかり合い、1+1が3以上になる化学反応を起こし、同じ目的・目標のもとに全員が主体的に能動的に動く「エンジン」になることである、と確証を得た。
つまり、感情や心理の本音のぶつかり合いなくして、本物の人間関係は築かれることは絶対にない。教育後のチームが強化された状態とは、怒りや悔し涙・達成時の歓喜という、単に喜びだけではない“感情の自然な発露”がその過程になければならない。
最もケンカしあった人が、その後親友になったりすることと同義である。
◆
実際、我々のプログラムでは、思いっきり感情を揺さぶり、自然と本音や地の性格が露呈するよう、心理学的要素を取り入れて戦略的に構成されている。ゆえいに、多くの参加者が悔し涙や喜びの涙を流すし、参加者同士のケンカが多発する。それらの全て、自分自身やメンバーの不甲斐なさや反省論から涙するのである。
まさにこれが参加者自らお互いを刺激し、本音や本人の素の性格が化学反応している証拠である。つまり、プラス感情だけでなく、マイナスの感情もごちゃ混ぜにぶつけ合って初めて、相手の本音が見えてくる −この状態がチームに結束が生まれる必要不可欠な要素である。
そして合宿最終日に、一皮むけた人間関係へのスタートラインに立ったと十分に感じられる参加者の晴れ晴れとした姿や想い・言動に、本人たちだけなくオブザーバーですら感動の涙を流す。− 彼らの変化ぶりが、あたかも自分事のように。
今年の前半戦5回の合宿は、参加した社長や人事トップなど全オブザーバーが泣いた。泣くことが全てを証明するとは思わないが、少なくとも心に響き刺さっている証拠と捉えることはできる。
続く後半戦はGW明け、東証一部の大企業の経営幹部が毎週焚き火を囲んで、自社の将来を語り描く。それまではしばしの間、心を休めよう。
以前に人間関係の「関係深度」について、自分の中のステージ的定義を記したことがある。
『他人 → 知人 → 友人 → 仲間 → 戦友 → 親友』
こんな風に。
3月にビジネススクールで肩を並べた2003年の仲間から、FACEBOOKを通じて連絡が復活した。その人が海外赴任になってから極たまにしか連絡を取っていなかったのだ。
そして、一時帰国のタイミングで再会することになった。
あの頃と変わらない長い髪、スラリとした体型の超美人な戦友。1年間4科目通して同じクラスで学び家も近かったため、家族という単位でとにかく仲が良かった。
◆
再会した瞬間の一言目は「変わってないねー!」。でも、お互い会っていない8年の間に激変していた…。
単身赴任先のタイで、まさにビジネススクールで学んだことを生かして、暇を持て余してはじめたエステサロン経営。それが総スタッフ100名にまでなる会社を営んでいたとのこと。
またサロンの経営だけではなかった。毎日20km走り、体型と美貌を維持する努力も怠らなければ、タイ王家の通訳の仕事もバリバリこなしている。
ビジネススクールに行くと、自分でビジネスをしたくなるものなのか? 僕の意見は、『否』。 確かにその気持ちがわき起こることは否定しない。しかし、たかが理論をちょろっと舐めただけで、ビジネスが成功するほど経営は甘くない。
ハーバードMBAを出た学生の多くが事業に失敗していることがそれを証明している。
◆
しかしビジネススクールがすごいとも全く思わない。単なる勉強の一つの形態にすぎない。単にかかる時間とコストが、一般的な勉強よりかかるだけの話。
何であれ、その『過程における苦労や努力の濃さ』が、その人のその後を決めると思う。
(事実、大学院の同期でもネットに転がる論文をさも自分が書いたように提出してSをもらったと喜ぶ、院生として恥ずべきクズもいるのだから。)
その人との再会で感じたのは、独立以上に学んだことを自分の手足で再現してみたり、自分のありたい像に向かって人一倍努力をしていることへの共感である。
やはり本物のできる人は、常に変わらない努力を続けているのだ…と安心しつつ、非常に刺激になった再会である。僕自身も大学院1年目が終わり、1年次の成績優秀者の一人として表彰されたが、自分の理想にはまだまだ。
その人との再会をきっかけに、さらに高みを目指していきたい。
『他人 → 知人 → 友人 → 仲間 → 戦友 → 親友』
こんな風に。
3月にビジネススクールで肩を並べた2003年の仲間から、FACEBOOKを通じて連絡が復活した。その人が海外赴任になってから極たまにしか連絡を取っていなかったのだ。
そして、一時帰国のタイミングで再会することになった。
あの頃と変わらない長い髪、スラリとした体型の超美人な戦友。1年間4科目通して同じクラスで学び家も近かったため、家族という単位でとにかく仲が良かった。
◆
再会した瞬間の一言目は「変わってないねー!」。でも、お互い会っていない8年の間に激変していた…。
単身赴任先のタイで、まさにビジネススクールで学んだことを生かして、暇を持て余してはじめたエステサロン経営。それが総スタッフ100名にまでなる会社を営んでいたとのこと。
またサロンの経営だけではなかった。毎日20km走り、体型と美貌を維持する努力も怠らなければ、タイ王家の通訳の仕事もバリバリこなしている。
ビジネススクールに行くと、自分でビジネスをしたくなるものなのか? 僕の意見は、『否』。 確かにその気持ちがわき起こることは否定しない。しかし、たかが理論をちょろっと舐めただけで、ビジネスが成功するほど経営は甘くない。
ハーバードMBAを出た学生の多くが事業に失敗していることがそれを証明している。
◆
しかしビジネススクールがすごいとも全く思わない。単なる勉強の一つの形態にすぎない。単にかかる時間とコストが、一般的な勉強よりかかるだけの話。
何であれ、その『過程における苦労や努力の濃さ』が、その人のその後を決めると思う。
(事実、大学院の同期でもネットに転がる論文をさも自分が書いたように提出してSをもらったと喜ぶ、院生として恥ずべきクズもいるのだから。)
その人との再会で感じたのは、独立以上に学んだことを自分の手足で再現してみたり、自分のありたい像に向かって人一倍努力をしていることへの共感である。
やはり本物のできる人は、常に変わらない努力を続けているのだ…と安心しつつ、非常に刺激になった再会である。僕自身も大学院1年目が終わり、1年次の成績優秀者の一人として表彰されたが、自分の理想にはまだまだ。
その人との再会をきっかけに、さらに高みを目指していきたい。
一気に暖かくなり、暦もいよいよ卯月に。
朝のラッシュは今までになく混み合い、その中でもパリパリのスーツに身を包んだ新入社員も多くみられる。
十数年前に社会に出た自分自身を思い出しつつオフィスに向かうが、それ以上に記憶は7年前に寄り道していた。
2005年4月 −自分の会社が生まれた。とはいえ、当時はまだ「二足の草鞋」状態で、屋号を登録しサイドビジネス的に仕事をしていただけだった。いわゆるサラリーマンと個人事業主を行ったり来たり。
そもそも、独立を昔から考えていたわけではなかった。たまたま社長団体の教育の案件を自分で掴み、ベンチャーの熱い社長たちと触れ合っているうちに、心が動き彼らに後押しされ、6ヶ月後には独立していた…そんな勢いだけでの創業だった。
◆
それから早7年が経ち、今季で変則決算も含めて8期が終わる。
特に昨年から今年前半にかけては、取締役の入社・理念研究所の立ち上げ・HPの大幅変更など、とにかく変化に富んだ1年だった。リーマンショックの後、遅れ気味にして成長鈍化を味わったが、前向きな要素も加速度的に増加している。
これまでの一切から脱皮と、もう一段階さらなる成長を図るが如く9期に突入するタイミングで、社名変更を決定。
新企業名: 『株式会社ミッション&チームワークス』
現在の社名も思い入れがあってつけた名前だが、今回は一発で何屋か理解できる社名へ。そしてさらにブレない経営をしてゆく想いも込めて。
◆
大学院での研究論文の構成を進めていると、より自分が何を研究(→ビジネス)したいのか?ビジネスパーソン人生をかけて何を成し遂げたいのか?何屋として尖がって差別化するのか?が明確になってくる。
それに社名やロゴが変わるだけで、何かコーポレートアイデンティティが、他人から見て全く不明状態になるわけではない。
ならば、社名も事業内容に近いほうが分かりやすい。
慣れ親しんだ社名であり様々な想いが交錯するが、心機一転また経営をしていきたい。
朝のラッシュは今までになく混み合い、その中でもパリパリのスーツに身を包んだ新入社員も多くみられる。
十数年前に社会に出た自分自身を思い出しつつオフィスに向かうが、それ以上に記憶は7年前に寄り道していた。
2005年4月 −自分の会社が生まれた。とはいえ、当時はまだ「二足の草鞋」状態で、屋号を登録しサイドビジネス的に仕事をしていただけだった。いわゆるサラリーマンと個人事業主を行ったり来たり。
そもそも、独立を昔から考えていたわけではなかった。たまたま社長団体の教育の案件を自分で掴み、ベンチャーの熱い社長たちと触れ合っているうちに、心が動き彼らに後押しされ、6ヶ月後には独立していた…そんな勢いだけでの創業だった。
◆
それから早7年が経ち、今季で変則決算も含めて8期が終わる。
特に昨年から今年前半にかけては、取締役の入社・理念研究所の立ち上げ・HPの大幅変更など、とにかく変化に富んだ1年だった。リーマンショックの後、遅れ気味にして成長鈍化を味わったが、前向きな要素も加速度的に増加している。
これまでの一切から脱皮と、もう一段階さらなる成長を図るが如く9期に突入するタイミングで、社名変更を決定。
新企業名: 『株式会社ミッション&チームワークス』
現在の社名も思い入れがあってつけた名前だが、今回は一発で何屋か理解できる社名へ。そしてさらにブレない経営をしてゆく想いも込めて。
◆
大学院での研究論文の構成を進めていると、より自分が何を研究(→ビジネス)したいのか?ビジネスパーソン人生をかけて何を成し遂げたいのか?何屋として尖がって差別化するのか?が明確になってくる。
それに社名やロゴが変わるだけで、何かコーポレートアイデンティティが、他人から見て全く不明状態になるわけではない。
ならば、社名も事業内容に近いほうが分かりやすい。
慣れ親しんだ社名であり様々な想いが交錯するが、心機一転また経営をしていきたい。
もうすでに3月の最終週 − ここから怒涛の合宿嵐13連発が始まる。
第1発目となった昨日は、僕が長年パートナー講師を務める河口湖にある清水国昭氏の施設でキックオフ。
上場IT企業の若手ゆえに、事前議論では頭の回転は速いし、言葉尻では説得感ある高い表現をしてくる。僕の20代前半なんて、斜に構えまくり、煮ても焼いても食えないヤツだったことを恥ずかしく感じるほどに。
しかし、我々のプログラムはすべて実体験⇔内省に基づく“本物の学び”を得るスタイルである。
言いかえれば、『行動結果からしか真の学び=腹落ちして納得感ある学びは生まれない』。
議論水準と実体験の結果は… それはそれはヒドイ(失礼!)乖離があった。「口では何とでも言える!」と、どこの上司も思わず怒鳴りたくなるような、そんな残念!な1日目。
悔しくてフガイなくて泣き出したほとんどの参加者たち。
その感情は、外部要因的な涙ではない。頭でアウトプットした事実と、自分自身の行動結果の大ギャップな現実を目の当たりにし、心底驚愕し、そんな自分への反省や悔しさ〜自己対峙〜からの“本物の涙”である。
◆
翌日は、前日の涙・悔しさ・反省・学びをバネに、徹底的に自分達自身で決めた行動コミットを10時間というプロジェクトを通じて証明する1発勝負が課される。
今回は勝手知ったる常連クライアントの人事担当者からRQされたスペシャルハードなワーク。
長距離・洞窟・山道・雪道・タイムリミット・体力知力の限界… 本気さ・達成へのこだわり・仲間との信頼関係・絆が試されるタフな独自プロジェクト − 『アドベンチャーハイク』。
それは、思わず「体育会系過ぎだろ!」と出てしまうような。
いや、体育会系とかそういうのはどうでもいいコト。どんなにキツかろうが、『チーム・自身“自らが主体的に取り組み”、その取り組む過程において気付きと納得感→成長をのぞむベストな手法』が、そうであるだけである。
(そもそも例えばロープレ程度で、意識変革が自然と起きることは絶対にない!)
前日の涙がバネになり、勇敢果敢に自主的に取り組む参加者たち。やらされ感は微塵もなく、目の色が変わっている。そういった「成長の過程」を踏んで成功というゴールを手にした参加者は、再び号泣。
達成感と充実感と、仲間への感謝、そして生まれた自分の中の小さな自信からのバージョンアップした涙。
気がつくと、参加した人事トップも目を赤くしている …心から彼らの変化ぶりを喜んでいるかのようだ。
◆
間違っても「青春」なんかではない。
人間の本質的な成長過程に必要不可欠な自然な『自主感情』の発露である。
自分達の手でかけがえのないものを手に入れた涙。嘘いつわりのないピュアな感動とでも言えよう。
単なる数日間で、ガラリと人が変わるなんてありえない。しかし、彼らの感情を伴った行動変化の数々は、気持ちの変化トリガーは確実に引いたことを証明している。本当の意識の変化は、自分の中の自然な劇的な感情を伴って初めて、起きるものだから。
そんな彼らを見ていて、つくづく再確認をしたこともあった。
「質よりも人を増やして数をこなして儲ける」ような企業ではなく、一社一社ありったけの情熱と想いと期待を込めて、ともに成長できるような、そんなコンサルティング&エデュケーションを提供し続けていきたいという、会社設立当初から変わっていない自分自身の想い。
創業8年目、あらためて自社の不変な想いをかみしめた、富士の麓であった。
第1発目となった昨日は、僕が長年パートナー講師を務める河口湖にある清水国昭氏の施設でキックオフ。
上場IT企業の若手ゆえに、事前議論では頭の回転は速いし、言葉尻では説得感ある高い表現をしてくる。僕の20代前半なんて、斜に構えまくり、煮ても焼いても食えないヤツだったことを恥ずかしく感じるほどに。
しかし、我々のプログラムはすべて実体験⇔内省に基づく“本物の学び”を得るスタイルである。
言いかえれば、『行動結果からしか真の学び=腹落ちして納得感ある学びは生まれない』。
議論水準と実体験の結果は… それはそれはヒドイ(失礼!)乖離があった。「口では何とでも言える!」と、どこの上司も思わず怒鳴りたくなるような、そんな残念!な1日目。
悔しくてフガイなくて泣き出したほとんどの参加者たち。
その感情は、外部要因的な涙ではない。頭でアウトプットした事実と、自分自身の行動結果の大ギャップな現実を目の当たりにし、心底驚愕し、そんな自分への反省や悔しさ〜自己対峙〜からの“本物の涙”である。
◆
翌日は、前日の涙・悔しさ・反省・学びをバネに、徹底的に自分達自身で決めた行動コミットを10時間というプロジェクトを通じて証明する1発勝負が課される。
今回は勝手知ったる常連クライアントの人事担当者からRQされたスペシャルハードなワーク。
長距離・洞窟・山道・雪道・タイムリミット・体力知力の限界… 本気さ・達成へのこだわり・仲間との信頼関係・絆が試されるタフな独自プロジェクト − 『アドベンチャーハイク』。
それは、思わず「体育会系過ぎだろ!」と出てしまうような。
いや、体育会系とかそういうのはどうでもいいコト。どんなにキツかろうが、『チーム・自身“自らが主体的に取り組み”、その取り組む過程において気付きと納得感→成長をのぞむベストな手法』が、そうであるだけである。
(そもそも例えばロープレ程度で、意識変革が自然と起きることは絶対にない!)
前日の涙がバネになり、勇敢果敢に自主的に取り組む参加者たち。やらされ感は微塵もなく、目の色が変わっている。そういった「成長の過程」を踏んで成功というゴールを手にした参加者は、再び号泣。
達成感と充実感と、仲間への感謝、そして生まれた自分の中の小さな自信からのバージョンアップした涙。
気がつくと、参加した人事トップも目を赤くしている …心から彼らの変化ぶりを喜んでいるかのようだ。
◆
間違っても「青春」なんかではない。
人間の本質的な成長過程に必要不可欠な自然な『自主感情』の発露である。
自分達の手でかけがえのないものを手に入れた涙。嘘いつわりのないピュアな感動とでも言えよう。
単なる数日間で、ガラリと人が変わるなんてありえない。しかし、彼らの感情を伴った行動変化の数々は、気持ちの変化トリガーは確実に引いたことを証明している。本当の意識の変化は、自分の中の自然な劇的な感情を伴って初めて、起きるものだから。
そんな彼らを見ていて、つくづく再確認をしたこともあった。
「質よりも人を増やして数をこなして儲ける」ような企業ではなく、一社一社ありったけの情熱と想いと期待を込めて、ともに成長できるような、そんなコンサルティング&エデュケーションを提供し続けていきたいという、会社設立当初から変わっていない自分自身の想い。
創業8年目、あらためて自社の不変な想いをかみしめた、富士の麓であった。
ストイック − ≪ 自己抑制的な・禁欲的な [日本国語大辞典] ≫
意味そのものを考えると、過度なストイックさは精神に良くないような気さえする。
しかし、歳を重ねるにつれてストイックさを持たねばならないこともあるように思う −誰にも平等に訪れる加齢という名の時間経過。これにはどうやっても逆らえない。
精神は経験と時の積み重ねにより、より味わい深く濃密なものになってゆく。
一方、身体は意に反して老化と退化を重ねてゆく。
この明白すぎる事実と自分の人生を重ね合わせた時、どう捉えるかはその人次第である。
◆
人生とは、原因と結果の積み重ねであると思う。
言いかえれば、来年の自分=結果は、今の自分の積み重ね=原因ということ。つまり自分の人生は現在の一瞬一瞬のミルフィーユみたいなもの。もちろん突発的な外部要因で変わることもあるけれど、少なくともコントローラブルな範囲では、その理論は成り立つ。
とするなら、精神は歳をとらなくとも、身体は必ず衰える −しかしそれを遅らせることはできる。
『思い通りの人生はシャープな体に宿る』
まさに体が資本。痩せてればよく、デブはダメだという意味ではない。いかに自分に必要な範囲でのストイックさを維持できるか、が重要だと思う。
ストイックであることは、僕の中では「すべき努力をすること」を意味する。
自分自身は常にシャープな身体でいたいと願う。一生ジーンズのサイズが変わらず履き続けることができるのはカッコいい。オヤジだからとか、年とったからとか言い訳して生きたくない。
アドベンチャーレースのオヤジたちは、本当にすごい。40代でも常にトップに君臨する体力=体力を維持する努力の積み重ねは尊敬に値する。
◆
高校時代から30歳まで不変だった体重は、その後不覚にも最大8kg・平均5-6kgオーバー。
危機感を感じた35歳からアドベンチャーレースやトレイルランニングで身体を絞り始め、しなやかで細マッチョな身体作りをしてきたものの、昨年は大学院で全く時間が取れずにマラソンすら断念(その代わり、徹底した低インシュリン生活を続けたが)。
そして大学院1年次も終わり、マラソンも再開し体脂肪と体重の管理に努める。
現在は体脂肪14%、BMIも21.7、体重も高校時代からのベストから+1.5kgとまぁまぁなスコアにまで改善。
自分が目指す不良中年な40代は、30代から準備しないとなれない。気持ちはどうにかなっても「老化」という魔物は待ってはくれない。美容専門医の友人曰く、「老化は元に戻せない」。つまり気を抜けないのだ。
自分の怠け心や食欲に甘えることなく、高い理想を持って日々生活していきたいものだ。
意味そのものを考えると、過度なストイックさは精神に良くないような気さえする。
しかし、歳を重ねるにつれてストイックさを持たねばならないこともあるように思う −誰にも平等に訪れる加齢という名の時間経過。これにはどうやっても逆らえない。
精神は経験と時の積み重ねにより、より味わい深く濃密なものになってゆく。
一方、身体は意に反して老化と退化を重ねてゆく。
この明白すぎる事実と自分の人生を重ね合わせた時、どう捉えるかはその人次第である。
◆
人生とは、原因と結果の積み重ねであると思う。
言いかえれば、来年の自分=結果は、今の自分の積み重ね=原因ということ。つまり自分の人生は現在の一瞬一瞬のミルフィーユみたいなもの。もちろん突発的な外部要因で変わることもあるけれど、少なくともコントローラブルな範囲では、その理論は成り立つ。
とするなら、精神は歳をとらなくとも、身体は必ず衰える −しかしそれを遅らせることはできる。
『思い通りの人生はシャープな体に宿る』
まさに体が資本。痩せてればよく、デブはダメだという意味ではない。いかに自分に必要な範囲でのストイックさを維持できるか、が重要だと思う。
ストイックであることは、僕の中では「すべき努力をすること」を意味する。
自分自身は常にシャープな身体でいたいと願う。一生ジーンズのサイズが変わらず履き続けることができるのはカッコいい。オヤジだからとか、年とったからとか言い訳して生きたくない。
アドベンチャーレースのオヤジたちは、本当にすごい。40代でも常にトップに君臨する体力=体力を維持する努力の積み重ねは尊敬に値する。
◆
高校時代から30歳まで不変だった体重は、その後不覚にも最大8kg・平均5-6kgオーバー。
危機感を感じた35歳からアドベンチャーレースやトレイルランニングで身体を絞り始め、しなやかで細マッチョな身体作りをしてきたものの、昨年は大学院で全く時間が取れずにマラソンすら断念(その代わり、徹底した低インシュリン生活を続けたが)。
そして大学院1年次も終わり、マラソンも再開し体脂肪と体重の管理に努める。
現在は体脂肪14%、BMIも21.7、体重も高校時代からのベストから+1.5kgとまぁまぁなスコアにまで改善。
自分が目指す不良中年な40代は、30代から準備しないとなれない。気持ちはどうにかなっても「老化」という魔物は待ってはくれない。美容専門医の友人曰く、「老化は元に戻せない」。つまり気を抜けないのだ。
自分の怠け心や食欲に甘えることなく、高い理想を持って日々生活していきたいものだ。
友達という人間関係を表す言葉はいろいろあるように思う。
他人から始まり、知人 → 友達 → 仲間 → 戦友 → 親友 というように。
すべて感覚知であり、その境目は曖昧だけれども、少なくとも僕の中では使い分けている。
分けているから態度を変える、というような器用なことは出来ないし、する必要もないが、意識・無意識にかかわらず、心を許す・信用するという感情論では明確に違う。
学生から社会に出ると、会社内では上下関係があるためになかなかこういう概念を考えることは多くはないが、会社外での集合体で活動していると、ヒシヒシとそれを感じることがある。
◆
その人間関係性はある種生き物に近い。感情論や事件によって『友達レベル』は、必ずしも固定的ではない。
ただその中でも『戦友』という位置づけの人間関係は面白い。読んで字の如く、『戦った友』 −言い方を変えれば、共に苦楽を乗り越えた仲間以上の関係性とでも言おうか。
これは「時間の経過とともに色褪せないこと」が興味深いのだ。
実際、ビジネススクールに通っていた頃の戦友とFACEBOOKで多数再会した。2000年前半のタフな授業を乗り切ったメンバーゆえに、一瞬にして関係性が戻るのだ。
もちろん、全員ではない。しかし、たかが3カ月間合計6回しか顔を合わせていないメンバーが、こうして10年の時を経てもなお「戦友」として再会できる。まさに戦い=学びの過程を共有していたからに他ならないだろう。
お互い切磋琢磨し合い、議論し、助け合い学びあった「本物の仲間」が“戦友”という言葉にふさわしい。
◆
その一方で、同じ時間を長い時間過ごしても、友達どころか「他人・知人」レベルという人も多くいる。実際、大学院の卒業生からは、70名前後の同期がいても、卒業後会うのはゼミの数人という現実話を聞く。
別にそれが悪いことだとは思わないし、全員と仲良くなる・理解してもらえる、なんてこと自体が虚像。大切なのは、どれだけ真摯にかつ楽しく相手と向き合えたかである。ゆえに100人の上辺だけの知人より、10人の仲間・戦友のずっといい。
先日再会した14年前の会社立ち上げ参画時の戦友、4月に各地から集まるグロービスの戦友、そして大学院の仲間。
こうした多くの仲間や戦友に恵まれるのは、自分の態度一つ :鏡の法則である。
それを肝に命じた上で、本物の仲間・戦友・親友という間柄を醸成してゆくことが、人生に豊かさをもたらすものだと思う。
他人から始まり、知人 → 友達 → 仲間 → 戦友 → 親友 というように。
すべて感覚知であり、その境目は曖昧だけれども、少なくとも僕の中では使い分けている。
分けているから態度を変える、というような器用なことは出来ないし、する必要もないが、意識・無意識にかかわらず、心を許す・信用するという感情論では明確に違う。
学生から社会に出ると、会社内では上下関係があるためになかなかこういう概念を考えることは多くはないが、会社外での集合体で活動していると、ヒシヒシとそれを感じることがある。
◆
その人間関係性はある種生き物に近い。感情論や事件によって『友達レベル』は、必ずしも固定的ではない。
ただその中でも『戦友』という位置づけの人間関係は面白い。読んで字の如く、『戦った友』 −言い方を変えれば、共に苦楽を乗り越えた仲間以上の関係性とでも言おうか。
これは「時間の経過とともに色褪せないこと」が興味深いのだ。
実際、ビジネススクールに通っていた頃の戦友とFACEBOOKで多数再会した。2000年前半のタフな授業を乗り切ったメンバーゆえに、一瞬にして関係性が戻るのだ。
もちろん、全員ではない。しかし、たかが3カ月間合計6回しか顔を合わせていないメンバーが、こうして10年の時を経てもなお「戦友」として再会できる。まさに戦い=学びの過程を共有していたからに他ならないだろう。
お互い切磋琢磨し合い、議論し、助け合い学びあった「本物の仲間」が“戦友”という言葉にふさわしい。
◆
その一方で、同じ時間を長い時間過ごしても、友達どころか「他人・知人」レベルという人も多くいる。実際、大学院の卒業生からは、70名前後の同期がいても、卒業後会うのはゼミの数人という現実話を聞く。
別にそれが悪いことだとは思わないし、全員と仲良くなる・理解してもらえる、なんてこと自体が虚像。大切なのは、どれだけ真摯にかつ楽しく相手と向き合えたかである。ゆえに100人の上辺だけの知人より、10人の仲間・戦友のずっといい。
先日再会した14年前の会社立ち上げ参画時の戦友、4月に各地から集まるグロービスの戦友、そして大学院の仲間。
こうした多くの仲間や戦友に恵まれるのは、自分の態度一つ :鏡の法則である。
それを肝に命じた上で、本物の仲間・戦友・親友という間柄を醸成してゆくことが、人生に豊かさをもたらすものだと思う。
ここ1週間、なぜか懐かしい人との再会に恵まれている。
結構会ってなくても、一目でわかるし、話すと一気にその頃の関係に戻る感じが嬉しい。
大学時代の仲間も同じようなことが起こるが、それ以上に一緒に汗水たらして働いた仲間のほうが、よりその傾向が強いように感じるのは気のせいだろうか。
◆
カフェで仕事をしていると、ふとどこか聞きなれた癖のある英語と笑い声が耳に届く。
声の発信源をみると、12年前に同じチームで働いていたイラン人のボスの当時と変わらない笑顔が目に飛び込んできた。彼らの話の区切りを見て声をかけると、満面の笑みで握手を求めながら近寄ってきた。
彼も今や自分の会社を楽しんでおり、お互いのビジネスの話や当時働いていた仲間たちが今どうしているかなど、盛り上がる。現状の仕事ではあまり英語を使わないが、久しぶりに昔の同僚と会うと不思議とペラペラ出てくるものだ −ボキャブラリの忘却には抵抗できなかったが。
ひとしきり情報交換して、コラボできたら!ということに。
◆
顧客のアポイントの際、昔お世話になった社長のオフィスが近いことに気がつく。この美人女性社長とは13年前に出会って以来、時折情報交換していた長いお付き合いのある方。僕にとってはお姉さん社長とも言える。
すぐに電話をし近くに来ていることを伝えると、その日にお会いすることに −オフィスは引越してしまったのだが。待ち合わせると、とてもおおらかな表情で手を振って迎えてくれる。
お互いの現状を話し、また当時の懐かしい話に花が咲く。その関係は、数年間会っていないブランクなど存在しないかのように感じる。そして時折、多かれ少なかれ経営者の誰もが抱える悩みについて、彼女の経験談やアドバイスをしてくれる。その方も苦労して成功を手にした経験の持ち主だけに、一つ一つの言葉がなんと役立つことか!
こうして、とても温かい時間を過ごすことで元気をもらった再会。
実は今日もこれから20代半ばに会社立ち上げに参画した時のメンバーと14年ぶりに会食。彼もまた経営者になっていた。話を聞くのがとても楽しみである。
縁とは不思議なものだ。まさに一期一会。 これからも出会いを大切にしていきたい。
結構会ってなくても、一目でわかるし、話すと一気にその頃の関係に戻る感じが嬉しい。
大学時代の仲間も同じようなことが起こるが、それ以上に一緒に汗水たらして働いた仲間のほうが、よりその傾向が強いように感じるのは気のせいだろうか。
◆
カフェで仕事をしていると、ふとどこか聞きなれた癖のある英語と笑い声が耳に届く。
声の発信源をみると、12年前に同じチームで働いていたイラン人のボスの当時と変わらない笑顔が目に飛び込んできた。彼らの話の区切りを見て声をかけると、満面の笑みで握手を求めながら近寄ってきた。
彼も今や自分の会社を楽しんでおり、お互いのビジネスの話や当時働いていた仲間たちが今どうしているかなど、盛り上がる。現状の仕事ではあまり英語を使わないが、久しぶりに昔の同僚と会うと不思議とペラペラ出てくるものだ −ボキャブラリの忘却には抵抗できなかったが。
ひとしきり情報交換して、コラボできたら!ということに。
◆
顧客のアポイントの際、昔お世話になった社長のオフィスが近いことに気がつく。この美人女性社長とは13年前に出会って以来、時折情報交換していた長いお付き合いのある方。僕にとってはお姉さん社長とも言える。
すぐに電話をし近くに来ていることを伝えると、その日にお会いすることに −オフィスは引越してしまったのだが。待ち合わせると、とてもおおらかな表情で手を振って迎えてくれる。
お互いの現状を話し、また当時の懐かしい話に花が咲く。その関係は、数年間会っていないブランクなど存在しないかのように感じる。そして時折、多かれ少なかれ経営者の誰もが抱える悩みについて、彼女の経験談やアドバイスをしてくれる。その方も苦労して成功を手にした経験の持ち主だけに、一つ一つの言葉がなんと役立つことか!
こうして、とても温かい時間を過ごすことで元気をもらった再会。
実は今日もこれから20代半ばに会社立ち上げに参画した時のメンバーと14年ぶりに会食。彼もまた経営者になっていた。話を聞くのがとても楽しみである。
縁とは不思議なものだ。まさに一期一会。 これからも出会いを大切にしていきたい。
最近読んだ本の一冊に行動経済学に関する書籍がある。
前から興味があり、いくつか読んだことはあるが、今回の書籍はとてもとても興味深い内容で、かつ考えさせられるものであった。
理性…通常思考…において動く経済学の一方で、感情や情報によって不合理な行動を選択する、という現象を実験を通じて証明してゆくものである。
例えば自分の例で言うと。
通常はミルクや砂糖の入っている缶コーヒーは絶対買わない。絶対に、である(個人的には微糖などとんでもない!)。しかしよくある、○○のアイテムやオモチャ付き、となっていると、なぜか買う場合がある。実際にルパン3世のかわいらしいプルバックカーがデスクのわきに転がっている(笑)。
そしてその後、100%不味いと感じるコーヒーに後悔するのだ。
◆
これは一つの例でしかないが、「無料!」という現象に自分の判断が狂う、というものである −つまり人間は理性や常識に合理的な判断しているようで、実は非合理的な行動をしているということである。
似たような行動は多々ある。
なぜ今回そんなにも行動経済学に諸説に惹かれたのか。
まさに自社の業務と深い関係がありそうだったからだ。我々のコンサルや教育の原点は、実体験に基づく自分の行動を振り返り、分かっていることと行動できることのギャップを理解すること。
分かっているのに行動できない、というこの事実。この事実にいかに気が付き意識をすることで、自身の行動に少しの変化を超すか −まさにしかける側の如何によって、衝撃的なアウトプットを導けるということである。
◆
今、自社はこれまで7年間培ってきたブランドを刷新しようとしている。
社内に新しい機能を設け、社名を変え、世の中に新しい価値を提供できる会社にしていく佳境である。
どのようにイメージを戦略的に変えると、どのように外に映るのか。そのカラクリを考えるヒントにもなりそうである。もちろんそれが功を奏すかは神のみぞ知るのだが。
しかし動いた者にだけ解は見える。いろいろな知識や情報を取り入れつつ、日々邁進していきたい。
前から興味があり、いくつか読んだことはあるが、今回の書籍はとてもとても興味深い内容で、かつ考えさせられるものであった。
理性…通常思考…において動く経済学の一方で、感情や情報によって不合理な行動を選択する、という現象を実験を通じて証明してゆくものである。
例えば自分の例で言うと。
通常はミルクや砂糖の入っている缶コーヒーは絶対買わない。絶対に、である(個人的には微糖などとんでもない!)。しかしよくある、○○のアイテムやオモチャ付き、となっていると、なぜか買う場合がある。実際にルパン3世のかわいらしいプルバックカーがデスクのわきに転がっている(笑)。
そしてその後、100%不味いと感じるコーヒーに後悔するのだ。
◆
これは一つの例でしかないが、「無料!」という現象に自分の判断が狂う、というものである −つまり人間は理性や常識に合理的な判断しているようで、実は非合理的な行動をしているということである。
似たような行動は多々ある。
なぜ今回そんなにも行動経済学に諸説に惹かれたのか。
まさに自社の業務と深い関係がありそうだったからだ。我々のコンサルや教育の原点は、実体験に基づく自分の行動を振り返り、分かっていることと行動できることのギャップを理解すること。
分かっているのに行動できない、というこの事実。この事実にいかに気が付き意識をすることで、自身の行動に少しの変化を超すか −まさにしかける側の如何によって、衝撃的なアウトプットを導けるということである。
◆
今、自社はこれまで7年間培ってきたブランドを刷新しようとしている。
社内に新しい機能を設け、社名を変え、世の中に新しい価値を提供できる会社にしていく佳境である。
どのようにイメージを戦略的に変えると、どのように外に映るのか。そのカラクリを考えるヒントにもなりそうである。もちろんそれが功を奏すかは神のみぞ知るのだが。
しかし動いた者にだけ解は見える。いろいろな知識や情報を取り入れつつ、日々邁進していきたい。
日々の生活において、ヒトは無意識であれ、意識的にであれ「意思決定」という行動をしている。
組織論の師匠曰く、その意思決定とは3つのスキーマ=先験的認知枠 〜行動規範・価値基準・感情規範〜から判断される。
そのスキーマはその人間のこれまでの経験や体験の積み重ねから構成されているものであり、僕が思うに日々の何げない意思決定はそれらスキーマによって無意識に判断されていると思っている。
しかし、時にその無意識の意思決定プロセスが、間違った判断を下すことも往々にしてありうるリスクが存在する。
◆
ある日の出来事。
「自分からやりたい」と行動を起こし、その人物は自ら能動的にある会に参加する意思を表した。その時点の意思決定は、自分の輝かしい未来を構成する重要な要因をポジティブに下したと言える。過去にやったことのない世界に、自ら足を踏み入れようと、小さな一歩を出したのだから。
しかし。
いざ会が開催されようという段階になって、いきなり「退会」というメールが届く。
始まってもいないため、退会という意味自体が不明なのだが、不参加には変わりはない。直前退会ということで、のっぴきならない理由があるのだろうと思いきや。
聞くところによると、まぁ出るわ出るわのエクスキューズのオンパレード。自分を正当化せんばかりの勢いの理由、というか言い訳。結局のところ、一歩が踏み出せない自分がいるだけの話なのだが。
しかもこういった行動は過去にもあったらしく、結局同じスキーマがその人を支配していたといえる。
◆
人は誰でも変わらなければならない機会というものがある。
それは自分で気がつく場合もあるし、他人に気づかされる場合もある。後者は実はありがたい話 −自分自身の負のスキーマをわざわざ教えてもらっているのだから。自分自身の生き方を、少しいい方向に改善する学びともいえるだろう。
実はそういったアドバイスをストレートに進言してくれる人ほど、本当に優しい人なのだ。
しかし悲しいかな、気付かされても自分の非を認めない・理解できない悲しいヒトもいる。まさにそのスキーマの内省ができないのだ。
ヒトの成長は日々の小さな小さな行動の中にヒントが隠されているもの。
だから僕は『森羅万象に学ぶ』という言葉を座右の銘にしている。
よって素直に自分を見つめ、自分にとって負のスキーマをできるだけプラスに改善しながら生きていきたいものである。
組織論の師匠曰く、その意思決定とは3つのスキーマ=先験的認知枠 〜行動規範・価値基準・感情規範〜から判断される。
そのスキーマはその人間のこれまでの経験や体験の積み重ねから構成されているものであり、僕が思うに日々の何げない意思決定はそれらスキーマによって無意識に判断されていると思っている。
しかし、時にその無意識の意思決定プロセスが、間違った判断を下すことも往々にしてありうるリスクが存在する。
◆
ある日の出来事。
「自分からやりたい」と行動を起こし、その人物は自ら能動的にある会に参加する意思を表した。その時点の意思決定は、自分の輝かしい未来を構成する重要な要因をポジティブに下したと言える。過去にやったことのない世界に、自ら足を踏み入れようと、小さな一歩を出したのだから。
しかし。
いざ会が開催されようという段階になって、いきなり「退会」というメールが届く。
始まってもいないため、退会という意味自体が不明なのだが、不参加には変わりはない。直前退会ということで、のっぴきならない理由があるのだろうと思いきや。
聞くところによると、まぁ出るわ出るわのエクスキューズのオンパレード。自分を正当化せんばかりの勢いの理由、というか言い訳。結局のところ、一歩が踏み出せない自分がいるだけの話なのだが。
しかもこういった行動は過去にもあったらしく、結局同じスキーマがその人を支配していたといえる。
◆
人は誰でも変わらなければならない機会というものがある。
それは自分で気がつく場合もあるし、他人に気づかされる場合もある。後者は実はありがたい話 −自分自身の負のスキーマをわざわざ教えてもらっているのだから。自分自身の生き方を、少しいい方向に改善する学びともいえるだろう。
実はそういったアドバイスをストレートに進言してくれる人ほど、本当に優しい人なのだ。
しかし悲しいかな、気付かされても自分の非を認めない・理解できない悲しいヒトもいる。まさにそのスキーマの内省ができないのだ。
ヒトの成長は日々の小さな小さな行動の中にヒントが隠されているもの。
だから僕は『森羅万象に学ぶ』という言葉を座右の銘にしている。
よって素直に自分を見つめ、自分にとって負のスキーマをできるだけプラスに改善しながら生きていきたいものである。

