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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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2017Review & 2018Target
年末に必ずその年の内省をする。

出来事から成長・苦悩・達成・失敗といったファクトを1つひとつ確認し、知恵に昇華させる作業である。まさにKolbの経験学習理論やKorthagenのALACTモデルの実践である。

これをしないと、人は成長しない。「絶対」にだ。仕事の上でも自己分析においても、極めて重要視している概念であり、究極には、これを踏まえていない学習は、学んだ気になっているだけで、身についてはいないと断言できる。

そんな堅っ苦しいことを考えながら、自分を変えた(と認知している)2017年の出来事をまとめ、2018年のターゲット設計をした。


★2017レビュー ファクト整理
・アイアンマン70.3 完走 + チーム所属
・焚火合宿&ワークショップ実施:93回
・過去最高 増収増益 達成
・ビジネス&研究書籍 読了:58冊
・博士論文 執筆着手

− アソビ
目標であった45歳までにトライアスロン・ミドル(113km)完走したし、ショート(51.5km)では自己ベストを更新。経営者だけで構成されるチームにも所属し切磋琢磨できた。

− シゴト
組織再生系の高難度の案件依頼が増え続け、焚火合宿もワークショップも年90日を超えたが、その分圧倒的な経験量・知識量が激増。よって学術理論にも依拠した顧客支援が強化できた。

− マナビ
大学院博士課程での研究も遅々としながらも前進。研究が直接的に仕事にシンクロするため、濃密な研究がそのまま顧客にも還元できた。ただ、執筆ペースが落ちているのはマズい…。

少し遊び、よく学び、死ぬほど働いた1年であった。これをバネにして、2018年に何を狙うか。


★2018ターゲット設定
・アイアンマン(226km)完走:サブ15時間
・焚火合宿&ワークショップ実施:90回以上
・博士論文 提出 (できれば19年にPh.D取得)
・大学での初教鞭 完遂

たくさん立てても意味がないため、目標は各1つ。それでも有時限の中で、いかに時間管理をするかは容易ではないだろう。それ以上に、自分の怠惰な心と争う精神力の方が難しい。だからこそ、目標を立て自分自身にコミットして取り組む必要性がある。実は目標や達成結果そのものよりも、自分で決めたことをやりきること自体が意義がある。

毎年毎年、歳を重ねるたびに、楽しさやワクワクが増えるのは嬉しいことだ。しかしそれは、「努力」という見えない日々の積み重ねによって裏打ちされる。その努力から目を背け、現状に甘んじたり、希望を諦めたり、欲望のままに流されるような腐敗した人生は送りたくない。

自分の人生は、自分で創るのである。

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超身近の集団発達と崩壊を考える
社会心理学の父とも言えるKurt. Levinは、1951年に集団をこう定義した。

「集団とは、単なる個人の集合体ではなく、心理的にまとまりを持った集まりである」

多少広義的ではあるが、とにかく僕は集団というものは生き物であると思う。そして、その「生き物」を構成する人々の言動の観察は非常に興味深く、またそれがプラス方向であれマイナス方向であれ、変容していく様も目を離すことができない。

博士課程の専門領域として「集団発達」を研究しているのも、そこに飽くなき興味をそそられるからである。

その対象集団は、もちろん企業組織が主ではあるが、趣味の世界に目を向けても研究対象になりうるような事例が転がっている。実際に自分が多かれ少なかれ任意の集団に関わり、そこで起きた人間関係模様を研究対象的に静観するのは、僕の陰湿な趣味と言ってもいいかもしれない。



数ヶ月前、地元で完全なる趣味の集団をネットで見つけて、縁あって関わることになった。バーチャルとリアルの付き合い方はある程度は理解しているつもりだ。

ー ネットというものが世の中に浸透し始めた黎明期の2000年頃からすでに、数えきれない同趣味人と01010101の世界でつながり、多くの人と実際に顔を合わせて様々なイベントを企画・参加し、ほんの一握りの仲間と今でも飲む経験則が機能するからだ。


その趣味集団の当初は、やっと到来した春と同じく緩く暖かだった。外気温が上がるにつれて集団の活動が活発化し始めると、急速に人員が増えて人となりを知ろうとする行為なくしてSNS上だけで表面的で軽薄な関係性が構築された。それと比例して、集団活動に対するフリーライダーにマイペーサー、オレサマにクレーマー、ゴースト(幽霊部員)となり収拾がつかなくなり始め、肥大化からほんの数ヶ月で第1次組織崩壊が発生。その後なんとか持ち直すも、第2次崩壊が生じて半年で事実上 集団が消滅した。

こんな話はそこらじゅうに転がっているが、有名なT.W. Tuckman(1956)は、集団というものは変化段階を有し最後には解散すると主張する。まさに、理論をベッタリなぞったような短命な集団だった。身近で生じたこのケースは、集団発達の研究家にとっては非常に有意義な検体とも言える。



短くして散った理由はいろいろ複雑に絡み合っていただろう。客観視していると、決定的にそして明白なまでに欠如していた点が浮き彫りになる。

「活動の軸」である。

何のために集まるのか。そのレゾンデートルなくして集団が維持できるわけがない。企業で言えば経営理念といえよう。存在意義や活動方針が不明確、あるいは明確でもそれを理解しないウゾウムゾウが集まれば混乱するのは自明の理。一方で、趣味の集団だけにルールが前面に出るのは堅苦しい。

難しい。実に、難しい。

趣味でも企業でも集団を形成する人には、残念ながら集団がうまくいくようにハンドリングする義務が生じる。もしくは誰かがその代役を担わなければ、集団維持はできまい。まさに、集団のマネジメント力が求められるといえそうだ。そして関わるメンバーの資質も重要な要素。ルイトモと呼ばれる全世界共通の教訓の通り、「誰と」「何を」するのかが欠かせないということである。


身近に起こった組織模様。たかが趣味集団、されど趣味集団。これからも集団発達から目が離せない。

趣味でも当たり前のことを当たり前にやる
ビジネスにおける目標達成への方程式は、一つしかない。

PDCAを回すことだという人が多いが、それは実行原則。その前にやらねばならないことがある。

「理想を掲げる→現実を精査する→理想-現実間の問題を認識する→課題を抽出する→優先順位をつける」である。そしてここで初めて実行。

これらなくして目標達成行動などできないはずなのだが、結構ここをすっ飛ばして、やることを勝手に決めて行動してしまう人が散見される。しかも、問題と課題すらごっちゃにしているケースが多数勃発している。残念賞だが、それは失敗の素。

この過程を経てから、優先順位に則りPDCAをぐるぐる回す。そして、さらにPDCAを回す過程でも、経験や知識を知恵化する経験学習理論を理解していないと非効率なPDCAを回すハメになる。

実は、このサイクルは趣味でも同様。いや、何かを成し遂げる場合には、全てに当てはまるものである。



国内トライアスロンのアイアンマン ミドル(112km)のレースにエントリー完了したのは11月、そしてショート(51.5km)の国際大会に応募したのが12月。

もう2017年のレースは始まっているのだ。

45歳までにミドル完走を人生目標の一つに掲げているが、完走はおそらく出来るだろう。

しかし、ゴール後に楽しかった!と言えるレースにしたい。いや、レース中にも笑顔で過ごせるような、そんなコンディションで臨みたい。そして可能なら、6時間半を切れれば最高だ。それを実現するためには、やはりトレーニングが欠かせない。しかし、やみくもに練習しても意味がない。

となると、先の方程式に当てはめて、戦略的に練習を積むしかない。



ラン・スイム・バイクのそれぞれのベストを描き、現在の自分の得手不得手を列挙する。どこが改善の押しボタンなのか、どこを強化しどこを弱化するのか、そして優先順位をつける。そこまでできたら、トレーニングプランに落とし込み、実行していく。

今年のレースピーク設定は6月のアイアンマンなので、それまでに徐々に身体と精神と心を作っていく。とはいっても、トレー二ングにはユル〜く幅をもたせる。これがミソ。

はい 出ました、自己矛盾。

いや それでいい。仕事や研究はそうはいかないが、趣味なんだからそのくらいでいい。3月までは基礎土台強化フェーズとして無理せず週2回3種目のいずれかをLSD(Long Slow Distance)でこなすことを決意。

スイム: 2-3km/回
バイク: 実走 80-100km/回 or ローラー台60分
ラン : 10km/回

4月以降、また同じ方程式で戦略を弾き出して、今度はピークに持っていくまでの質の高い追い込みフェーズに切り替える。


結局、趣味でもやるべきことは一緒なのだ。

当たり前の方程式で、当たり前の順序で、当たり前にやる。手に入れたいものは、全てこれに尽きるのである。
充実しまくりの2016年。
今年後半から以前に増して超爆多忙になり、落ち着いた瞬間に下のチビがICU緊急入院。

それから1ヶ月間、家庭崩壊気味なほどに、しっちゃかめっちゃかの日々のうちにクリスマスも通り過ぎ、もう年越しカウントダウン。


毎年感じることだが、年を重ねる毎に右肩上がりに充実感が増している。よって、過去の素晴らしき日々を懐古したり、あの時に戻れたら…という僕にとっては無意味な妄想に浸ることもない。

それはきっと、失敗も良くないことも「バネをためる時期」とか「何かの試練」だと割り切れる“アタマの中 お花畑”的な意識が定着しているからかもしれない。




それにしても、今年はいろいろな意味で特別だった。

一つは、ビジネスの「質」の深化。

コンサルテーションで関わっている案件は、PMI(M&A後の組織融合)やサクセション(世代継承)、チェンジマネジメントなど、組織分野では高難度の案件へ中心化傾向にあり、上場企業がほとんどを占める。

教育研修は経営層中心であるのはほとんどなのは変わっていないが、顧客や仲介会社から与えられた資料を講義するという、僕にとっては価値のない仕事はお断りさせていただいた。顧客の要望に合わせてフルカスタマイズコンテンツをスクラッチ構成して壇上に立つ案件のみに集中したことで、さらに口コミとリピートが加速した。



もう一つは、趣味の深化。

四十路のタシナミで始めたトライアスロンも年間2-3戦出るようになり、レースそのものを楽しめるようになった。そこから派生して、ロードバイクにハマったことが大きい。次第に仲間が集まりチームとなり、知識と経験が増え、チームでサーキットを延々と走る8時間耐久レースにも出場した。

車と同様、メカとして自転車も好きだったが、リミッターが外れたようである。専門家による本格的なライディングポジション出しを依頼し、反復練習のためのローラー台で夜な夜な漕ぐ。そして、もはや部屋はガレージと化している。


本当に本当に大きな変化に満ちた1年だった。そして極めて充実していた。

来年もまた、変化を楽しもう。


アイアンマン 第0関門、通過。
四十路の手習いではじめる、と決めたトライアスロン。

気がつけば今年で4年目、年間で数レースずつ参加してきた。ある程度のタイムは意識しているものの、一緒に出場した仲間と完走することが、一番のモチベーションである。

しかし、それとは別に自分自身との戦いであり、人生の目標の一つとして位置付けている大会がある。

『 アイアンマン 』

といっても、それには2種類ほどある。一つは「ミドル」と呼ばれる約115kmの距離。もう一つが約240kmほどのロングである(200km以上の大会でもアイアンマンの冠がつかないものもある)。


僕は人生において、45歳までにミドル ディスタンスを、50歳までにロングを完走する目標を掲げている。



今年5月に参戦した横浜国際大会は、トライアスロンが一気に楽しくなったターニングレースとなった。

それまでは、特にスイムパートで、「なんでこんなに苦しいことやってるんだろう・・」とエントリーを後悔することしきり。しかし、横浜大会で逆転3位入賞した日本の小柄な女性アスリートを見て、競技の取り組みスタンスを変更したらことから、それはそれはとても楽しくなったのだ。

これを機に、トレーニングも全く苦ではなくなったし、士気もあがってバイク機材のグレードアップも実施(言い訳?)。ギアが新しくなれば、やる気も出るってものだ。そして何より、周囲へのコミットメントをした。この宣言が、自分を追い込むには以外と重要だ。

「来年、アイアンマンのミドルに出る!!」と 意気揚々に。



エントリー開始がリリースされた1時間後。たくさんある項目を一気に埋めてエントリーを完了。第0関門、通過。

スイム1.9km:50分 / バイク90km:3時間半 / ラン21.5km:2時間 でトランジット込みで6時間切りという予想タイムを入力。

バイクの後半にはアップダウン激しい激坂があるし、ラン前半も同様。それぞれ単品では十分にイケる距離だけど、3つ繋ぐとちょっとハードル高いかもしれない。エネルギー補給戦略も大切だし、なにより未知の世界。

それでも、これを目標に、11月下旬から6月頭までの7ヶ月間、トレーニングを開始する!

・・・というとカッコいいのだが、激多忙なのも事実。いかに隙間時間をぬって練習するか。効率的にスキルを上げるか。モチベーションを継続するか。これに尽きる。悲観は「感情論」であり、楽観は「意思力」であるというアランの言葉を胸に、一度決めたらやるしかない。


自分の限界は自分で押し上げるもの。その押し上げた分だけ、自分のキャパシティが広がる。

人生の一つの目標に向かって。
東京トランジット生活
10月上旬から始まった激務期間。もしかしたら独立以来、最も多忙かもしれない。

前半戦は、3日間にわたるマネジメント教育プログラムを3セット 登壇に加えて、地方でワークショップ開催や合宿を数本。

後半戦は、岐阜白川郷6日間→伊豆大島4日間→東京奥多摩6日間と比較的長い合宿を移動1日だけ挟んで開催。


出張といえば心地いいが、朝8時から夜は12時まで、その場その場で起こる対象者の言動に合わせてプログラムを進めることとは雲泥の差がある。また、D.Kolbの経験学習理論をベースとした屋内外を使用する独自開発プログラムゆえに、座学やロープレ程度のようにマニュアルが完備されててラクにできるものではない。

しかも、大学院博士課程の論文も執筆をしているときている。



でも、楽しい。毎日が刺激的だし、気付きも多く着実に経験値が累積されていくのを感じる。

「疲れませんか?」 「どこを担当しているか混乱しませんか?」

いろいろな質問をされる。

疲れない、といえばウソだが、それ以上に知的好奇心的に楽しいし、そのために日々身体と脳ミソを鍛えている(つもり)。現在は同時に4つのコンサルティング案件に関与しているが、それぞれに頭の中で「箱」みたいな仕切りをつけつつ、優先順位をつけながら計画的に着手しているから、混乱も抜け漏れもほとんどない(つもり)。

実際、そうした山積したやるべきことを、考えて手を動かしてシャキシャキ処理していくこと自体も楽しかったりする。

だから全国を飛び回っている人もゴマンといるわけで、忙しさなどなんとも思わない。瞬間的ではあるが、今は自宅に帰るのは服を変えるだけ。 フライトの乗り継ぎのように。 まさに東京トランジット。

ドM 気質、なんだろう。



ただ、常にON状態なのは、ちょっとフクザツ。

仕事は好きだし、クライアントと成果を作り上げていくのは、何よりもやりがいがある。充実感も、自己効力感も、社会貢献性も感じられる。ワーカホリックかもしれないが、それを支えるのはOFFの時間。

ロードバイクにも乗りたいし、本も読みたい。家族と過ごす時間や仲間と笑う時間も欲しい。トライアスロン アイアンマンレースのトレーニングもしなければならないし、焚火研究ももっと進めなければならない。


とはいえ、止まない雨はない。 11月下旬には少し楽になる。それまでは走り抜けるのみ。全てはタイムマネジメント。


時間は作るものである。

そして、作れない場合は、待つのみである。




バネを溜める
人生にはドラマがある ー 行き方を左右する大きなことから日常の小さなことまで。そして、その瞬間に認識しているものもあれば、小さすぎるがゆえに後に気がつくこともある。

知覚の時間幅は別としても、それらをどう捉えるか、つまり「認知」が重要ではないかと、思うのである。

組織論の中にKolb(1984)という学者が唱えた経験学習理論という学習モデルがある。Kolbによると、具体的経験→反省的省察→抽象的概念化→能動的実験 という4ステップをサイクルしながら学ぶものであるが、人生とその理論は似ているように感じる。


人は日々の生活の中で、現実世界において全てを「体験」している。その体験の中から、自身が重要だと感じた事柄を記憶として脳ミソの海馬に刻む。つまり海馬とってに価値のある情報が思い出せるデータとして残り、それを後に「記憶」として引き出すことができるといえる。当然、無意識に残っているものもあれば、意図的に残そうとするものあろう。

とするならば、日々の経験を「残すのに十分足る情報」として「捉える」ことができれば、記憶に残るということではないだろうか。つまり、日々の経験から学びを見出す、もしくは事象を「昇華」させることで、様々なことから学べるように思うのである。

それが、後生記憶に残るかは別としても。




「活きる学び」というものは、日常生活においてどのような時にビッッ!!!っとくるのだろうか。

もちろん成功から学ぶ、というのも十分存在するが、1度の成功では学びとまでは至らず、何度も成功を繰り返し成功パターンを見出して帰納的に学びに至るものだと考えている。

逆に、活きる学びとは。失敗から喚起されるものだと、僕は思う。つまり、失敗した時・うまくいかなかった時、やばいヒヤリハットの時。

実は、そこに、成功の破片が隠れているもの。失敗という事実から目をそらさずガチンコで向き合って、失敗の原因が自分のどこにあるのかを、頭の先から足の先まで探し尽くす。そして、見つけ出したら、その原因を取り除く行動に転換していく。

しかし、失敗というものは、人は目を背けたがるものである。

できれば記憶から追い出したい。その失敗の原因は自分から遥か遠くにあって、たまたま自分に降りかかった災難のようなものだと思いたい ー それがヒトの普通の反応だろう。極めて正しい心理反応だと思う。



これらのことを、経験学習と紐付けて考えると、2つの極めて重要なプロセスを見出せる。

一つ目は、失敗の「具体的経験」をしても、そこで思考停止や現実逃避をしない。この「失敗した自分と向き合う勇気ある行動」とも言える強い意志に支えられたプロセスである。これなくしては、学びに気がつくことはない。

二つ目は、徹底的に失敗と向き合う「反省的省察」を通じて、今後の行動に活かすことが可能な、少し汎用性が高まった「抽象的概念」を抽出するロジカルで思慮深い考察プロセスである。これらなくしては、学びを今後に活かすことができない。


この2つの連続する過程における行動を、僕は「バネを溜める」と呼んでいる。バネを溜めなければ、大きなジャンプは不可能であるというメタファーそのものである。

人生にはバネを溜める時期は何度も訪れるだろう。小さな一瞬の出来事から、数日数ヶ月数年かかけてバネをためる出来事もあるだろう。その「溜め」は多ければ多いほど、次の飛躍の大きさに比例する。

要は、いかに経験学習のグルグルサイクルを回してバネを溜められるかが成長の肝である。


弱い者は失敗から目を背ける。思慮浅き者は同じ失敗を繰り返す。人間はそういう生き物かもしれない。しかし、それでも森羅万象に学ぶ姿勢を忘れたくないものである。
忙しくても、遊ぶ。
忙しい。 実に、忙しい。

どんなことも一瞬で壊滅させる「バルス!」祭的ないい感じの思考停止ワードである。
しかし、この魔法の一言で、他人にも、そして自分にもイイワケにできるから使い勝手がいいとも表現できる。

他人には都合のいい言葉だが、対自分になると、マズイ。実に、マズイ。相当に、マズイ。


とはいっても、忙しいものは忙しいんだよ!(怒) という事実は変わらない。しかし、それをどう捉えるか、だといつも思う。よく言われる、「コップ半分の水を、“たった”ととるか、“だけ”ととるか」というアレである。



先週、また新しいコンサル案件が決まった。

近年はなぜか上場企業の高難度の案件が目白押し。今回はマザーズに上場している企業で1年ほどの組織変革プロジェクトだが、複数の組織開発案件にもどっぷり関与しているので、時間管理が「質」を左右する。

コンサルティングや教育のアウトプットの質は僕の仕事の生命線である。

ほとんど社長が相手なので、圧倒的な専門性と独自性と思考深度が常時試される。一発でもネガティブな評価や噂が立つと、それは瞬時に千里を走る。組織に与える影響が甚大な仕事ゆえ、当然の理ではある。

ゆえに、「忙しい」というイイワケはクライアントには無関係である。トップと握り合った仕事は、完璧以上にやりきらなければ、価値はない。100か0か。そんな世界。



そこで自分に課しているのがNGワード群 — 忙しい。歳だから。時間がない。疲れた。などなど。


声にすると、その言葉は「言霊」として、自分自身の無意識下に染み込み、思考を麻痺させる。それが蓄積されると、知らぬ間に行動が抑制される。

つまりコイツラは、全部自分にとって都合のいいイイワケマジックワードでしかない。


時間は作り出すもの。体力はつけるもの。万人に訪れる加齢には誰しも逆らえない。しかし、抗う努力はできる。すべて自分次第。


明け方の気温が心地よく、なかなかベッドから出られない今日この頃、自分に鞭打って仕事に大学院に趣味に奔走するのである。
盆を返上しても
以外と、忙しい日々が好きだ。
あれもこれもと次々攻めていく生活は、僕にとては生きている証である。

先日、地方の大学で講演した帰りに、弟家族の家にお邪魔してきた。地方ゆえのでかい一軒家。高い天井。自動ゲート付きカーポート。手の行き届いた広い庭と南国風の植物。そして、豪勢なBBQ ー まさにリゾートのような。

そこで一泊のんびりさせてもらった。嫁子供が寝て、夜が深ける中で、BBQ台の残り火を囲んで話をしている中で弟達がつぶやいた。

「会社なんか行きたくないなぁ。出来るだけ有給取るか、早く帰ってくるかしたい。毎日でも」

まぁ確かに、こんな優雅なところにいたらそう思うだろうな・・・と心情を察しつつも、微妙な違和感を感じた。

僕はちょっとの休暇があるからいいのでは、と思う方。というか、今の僕の生活には、仕事と研究が9割以上を占めている。その中の一瞬の休みで十分と感じる、損なタイプかもと。



現在支援している一部上場企業数社のチェンジマネジメントとPMI(吸収合併後の組織融合)や理念経営支援、および私立高校のサクセッション(世代継承)プロジェクトなど、関与しているコンサルティングが最高潮にやりがいがあるからかもしれない。

もちろん、その他にも講演や教育研修の依頼も多々あるが、どちらかというと前者の方が好み。単発より数年にわたるコンサルのほうが圧倒的に難しいし責任は重が、その分全身全霊を込めて向き合えるから面白い。

なぜだろう? ふと高難度のプロジェクトと研修を同一週に担当した時にハッキリ感じた。

出た答えは、自分の市場価値が明らかになる 「知識と知恵の使い方の違い」であった。


僕は、講師登録して孫請け的に降ってきて、それを演じるだけの研修なんてものは絶対にやらない。僕の中では全く価値を見出せないから。やるなら、目的から成果までのプロセス設計や研修コンテンツ、および資料までほぼ全てゼロから作り込むことが前提で直接契約のみ。それはそれで顧客との一体感があるので楽しいのは事実。しかし、悲しいかな、所詮 「知識と経験の切り売り」でしかない。

一方で、難易度の高いコンサルで関わる案件は、「知恵の使い方による価値創造」である。これまで10年以上にわたって得てきた累積経験と大学院等で学んだ知識を知恵に変換し、経営や組織という答えのない生き物を相手に、いかにベターな成果が出るようアウトプットをするか、考えに考え抜き形にして提供し、経営者と一緒に現場へ落とし込む。この知恵熱が出そうなヒリヒリした緊張感ある仕事は、本当に情熱をかけられる。

この違いは雲泥の違い。



結局この夏も、盆なんてものは存在しなかった。

僕の休日や休暇は、クライアントの都合で全て決まる。週末家族と過ごす時間を取っても、夜は仕事か論文。というと、仕事人間みたいにも感じるが、決してそうではない。ロードバイク仲間と走りに行くし、トライアスロンの練習はするし、サーフィンで心を休めるし、子供と夏休みの研究もする。

盆なんかなくても、時間の使い方次第で、いかようにも心は満たされる。そして、弛まぬ経験と知識の蓄積+知恵転換によって顧客が満足してくれれば、もっと充実する。とするならば、自分の市場価値を高めることと、時間の効率的利用で心を癒せれば、僕の人生は豊かになるのかもしれない。表裏一体の関係性か。

市場価値が上がるから楽しめるのか、楽しむから市場価値が上がるのか。

僕のドーパミンはおそらく前者かもしれない。

2016/08/17(水) 23:06:26 | ビジネス | Trackback(-) | Comment(-)
謎の衝動的読書欲
何かの記事で書いてあった。
昨今の学生をはじめ、ビジネスパーソンも本を読まなくなってきていると。

今では新聞もスマホで読めるし、雑誌もオンライン化をしているし、動画を代表するテレビも映像の見るデバイスは拡大する一方である。なんでもかんでもITデバイスで手に入れることができる。


こうしたライフスタイルの多様化は悪いことだとは全く思わない。

僕自身がそれにキャッチアップしているかというと、それは別問題で、昔と相変わらずテレビは月に5時間も見ないし、漫画も読まない、ゲームもしない、そして、リアルな紙による読書は嫌いではない。



MBA時代までは、結構貪欲に本を読み漁っていた。(今思うと、恥ずかしながらどこかのインチキくさい人が経験だけで書きました系のビジネス書が多かったが。涙)

大学院博士後期過程という学生になってからは、本よりも論文を読むことが圧倒的に増えた。しかもそのほとんどが海外論文。古くは1940年代から現代までのジャーナルが多くなっている。


しかし、ここにきて自分に異変が起きている。なぜか、無性に「本」が読みたいのだ。

もちろん論文は読まざるをえないのは変わらないが、ジャンルは経営組織領域で、最先端の学者やら教授らがビジネスパーソン向けに書いた理論系に偏っているのが最近の特徴であり「異変」である。つまり理論と実践の融合体として、一部は学術的にゴリゴリに堅苦しく、一部は実際のビジネス事例と連動させているようなヘビーな書籍である。

そして、実際に、それらのほとんどがそんなにハード(硬く)じゃなくてもいいよ的なハードカバー本、かつ1冊3〜400ページを優に超えて持ち歩くにはリアルにハードで、ついでに1冊3000円前後するという財布にもハード。



その異変の発端は、何なのか。それは、だいたい想像がついている。

職業柄、社長以外の方とビジネスすることはあまりないのだが、その中でもダントツ、繰り返すがダントツに猛勉強するのが趣味(?)の社長の影響だと思う。

社長が勉強しないという意味ではない。その彼は自分の知識と経験を比類なきスピードで身につけ事業に生かし続ける、類い稀な逸材。彼と打ち合わせした後で、気になったワードから本を探して読むと、これまた興味を惹かれる内容なのだ。

(まぁ触発されてるだけの話だが。)


今までにこういう読み方はしたことがない。それも、食後の静かな時間に、コーヒーを片手に、学術系ビジネス書を読み、大学院の研究と自社の理論背景の強化&ブラッシュアップを創造する。


なんでこんな風にしか時間を過ごせないのだろうか?と自問自答すらすることがある。平日の夜くらいダラダラと過ごせばいいではないか、と。飲んで酔っ払ってコロっと寝られたら最高だろう?と。

でも、できない。損な性格だ。まぁ、それでも楽しいからいいとするか。
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