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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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レースに出る理由(ワケ)

社会人になると、「競争」というものに疎くなりがちである。

強いて言えば、「出世競争」くらいか。そのためか、その歳でよくアドベンチャーレースなんぞ…と茶化されることもしばしば。

昨今、競争という“争いごと”を避け、個の確率や自分らしさ、というスタイルが叫ばれているが、人生には、競争というスパイスがあってもいいと思う。それが、相手が他人だろうと、自分だろうと。



先日、The North Faceなどで知られるゴールドウィン社が主催する『トランス・アルプス・ジャパン・レース(TAJR)』というレース報告会に参加した。

そのTAJRは、通常の理解を超える最も自虐的ともいえる激しいレースである。日本海から北アルプス山脈を経て南アルプス山脈を縦走し、静岡県が面する太平洋までの400kmを走るワケわからないもの。

食事こそ食堂やコンビニ等で自由にとれるが、コースのほとんどを日本アルプスの山中を走るため、常に食堂があるわけじゃない。ゆえに、自分で運ぶ。しかも一般宿泊施設はNG、ツエルト(簡易テント)など自分で背負って行かなければならない。フルマラソンなんて子供だましに思えるほど、過酷で危険でクレイジーなレース。

なぜ彼らはそんな理解不能なレースに挑むのか。

参加したあるレーサーが言った -「自分との戦いが楽しいから」。



僕はその言葉をこうとらえる -『競争は自らを高めるから』、である、と。


何かの競争に勝ち、相手を負かす、もしくは過去の自分を乗り越えることは結果論でしかない。それ自体には僕はあまり価値を感じない。

勝った負けたではなく、“勝つための努力”をするプロセスそのものが、人間の成長に直結するからである。楽して勝つことは多くない。ほとんどが辛い努力をコツコツと積み重ね積み重ねて勝利を手に入れるものだと思うからである。


それが僕がレースに出る理由。

それに行き着いたとき、日々のトレーニングが苦ではなくなった。

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社内環境改善による効果
いつでも社員が気持ちよく仕事できるようにしたい -経営者誰でも思うこと。

業務の内容は社員の向き不向きがあるが、物理的環境はかなりの改善余地が存在する。営業で社外に出っぱなしならともかく、そうでない人は1日最低でも6-7時間はほぼ同じ空間にいることになる。

家と一緒で、心地よければよいほど効率やモチベーションが上がるのも理解できる。



自分自身、立ち上げた当初はできるだけ低コストに押さえるために、オフィスは最低限の業務スペースだけを確保。

その結果、建物や共有部分こそ新築で上品だが、一歩部屋の中に入るとそこは窓のない小さな小さな部屋。男性2名が入ったらそれだけで圧迫感を感じるような、リッチな家のトイレほどのサイズ。外出時に、こんなに日中の太陽の光って明るいんだ・・・と思ってしまうほど、光が入らない部屋はツライ。

幸い、転移祝いで山のように届いたお祝いの観葉植物が、狭苦しい部屋を和ませてくれた。



部下が入って間もなく、窓のある少し大きな部屋に引っ越す。

ちょうど転移のタイミングで前の企業が、その部屋用に調達した机・イスや冷蔵庫を残して行ってくれたため、かなり好環境に変化。

最近、アップル信者であるクライアントの社長にiPodによる音楽活用法をトクと語られた。かつて僕はiPodには縁がなく、いや正確には興味がなく、クリスマスパーティのビンゴでiPodを当てたものの使わずにオークションで売ってしまうほど。

その話を聞きつけたのか、追い打ちをかけるようにずっと活躍してきた超薄型のCDプレーヤーが壊れた。すると、ここぞ!とばかりに同じくiPodのヘビーユーザーである部下がiPodを利用した就業環境を提案してきた。いつも以上に目をキラキラさせて熱く語る。

確かに、光は思う存分に部屋に入るが、音がないのはやはり寂しい。



いまBowers & WilkinsのiPodプレーヤーがオフィスで活躍している。

もちろんiPod担当は部下。オフィスで流す音楽はある程度限られるものの、いろいろな音楽をダウンロードしてきては楽しそうに社内で流している。

こころなしか、いつもよりも出社時間も早くなり、掃除すらも楽しそうに口ずさみながらやっている。微笑ましい姿ではないか。


就業環境の整備もいい組織を作る小さなパーツなのだとあらためて実感した小さな出来事。
気付かない縁


社会人になると、否応なしに周りにいる人間関係性に変化が訪れる。

多くは会社のメンバー中心になり、大学や趣味の仲間とつながっていればいいほうかもしれない。あれほど仲良かった昔の仲間とは昔話では盛り上がれるが、現況を話すと理解できないことも多々ある。

過ごす環境が人間関係に変化を起こすのだろう。



住んでいるエリアで偶然出会ったハワイアンカフェ・バー。

居心地のよさや店長のキャラクターが自分を常連客にさせた -それから5年。

その店長が結婚。ハワイで挙式をあげ、バーのあるエリアのホテルで1.5次会のパーティへの招待を受ける。もちろん万事を廃して参加の名乗りを上げたが、いち常連客としてゆえに出席者のイメージがわかない。

参加したはいいが、ありがちな一方的一部盛り上がりor放置プレイの刑か?

そんな懸念はパーティ会場についた途端一気に払拭されたのだ。



そのカフェで会った人たち -いずれも地元、それも数多くの- と再会。

主婦や外国人、フラダンサー、ビジネスマン、レストランのママ 等など。

出会ってから細い細い糸程度の付き合いしかなくても、いわゆる「潜在的ご近所さん」としてつながっていたのだ。まさにその同窓会状態、お互いの近況を話しあい昔からの友人のように話に花が咲く。

あまり常日頃認識していない人間関係も、実は知らず知らずに自分の人生や生活の一部になっているのだ。


なんか心がホッコリした夜だった。
いつもの顔、新しい顔


暑さが過ぎ去り、寒くなる一歩手前、数カ月遅れの七夕風(?)イベントの月。

ホームパーティ。

毎年10月時々3月に開くこのパーティはすでに7回目を迎える。ここには様々な顔ぶれが大集合する。

中学・高校・大学・社会人大学・MBA・以前勤めた会社の同僚・波乗り仲間・車仲間…20歳前半から50歳まで老若男女が数十名。



『出会いは必然である』 -僕のこだわりの一つである考え方。

人生は偶然に出会うのではなく、すべて必然的な結びつきによって人間関係で構成されていると思う。

出会いはある意味、自分が“選択”した行動の中にある。自分が能動的に行動するなかに、同様の行動をとる人が会い合わせる必然の結果が出会い。もちろん、顔をただ合わせるだけでは出会いとは呼ばないが。


僕は本当に素晴らしい仲間に恵まれていると思う。出会いは必然だが、その必然の結果を維持するのは容易ではない。でも、心安らぐほどに仲間がいる。

そう、仲間がいてくれるからこそ、今の自分がいるのだ。


その素晴らしき仲間に新しい出会い懐かしい再会で恩返しするのがパーティというカタチ。



1年ぶりのパーティで再開する際のその笑顔。たかが年1回かもしれない。

しかし、みな極上BBQや持ち寄った一品料理とドリンクを片手に楽しそうに再開を懐かしんだり話したりしている。いちいち僕が紹介などはしたりしない。僕の招待した人、ということで勝手に盛り上がるのが暗黙の了解。


バルコニーから24名の笑い声と幸せが澄み切った秋晴れの夜空に溶けてゆく。


来年もまた集まろう。
無心の本意

夏が真横を通り過ぎ、過ごしやすい季節。

そして第2四半期に突入。かなり伸びは良いのだが、そういう時こそ用心。浮かれないように、足元をすくわれないように、自分自身をしっかりと「自律」しないと。

そんな想いから始めたのが、「座禅」。



朝7時 -経営者仲間から紹介された都内の禅寺。

10名ほどが集まってきている。中に案内されて、簡単な作法を学ぶ。そしてすぐ座禅を組む。

「心を無にしてください」

25分間の瞑想を2回。何もしゃべらない。動かない。ただただ、自分を無にする。

心を無にするって簡単に言われても…。とはいえ、自分にとっての波乗りはただのスポーツではなく、自分を見つめなおすリセット時間でもあるからそう難しくはないものの、でも自分を無意識に振り返ってしまう。。



終わって思うこと。

多分、今の自分にとって心を無にすることは自分にとっては本質じゃないし目的でもない。

忙しい毎日の中において、座禅という特殊で落ち着いた空間と時間の中で自分自身と対話しする。そういう「プロセス」そのものに意味があると思う。


その現状を昇華させたところに、本当の「無」があるのかもしれない。

月数回定期的に坐禅に行くことにしよう。
食欲の秋・メタボの危機


書籍出版のおかげで、クライアントが全国に広がり始める。

仕事も非常に楽しいが、出張も苦にならない。それは御当地の食事。東京はどんな食もそろうけど、東京独自のものは多くない。

先週は福岡、今回は雨の名古屋へ。

名古屋と言えば。

コーチン・味噌煮込みうどん・きし麺・味噌カツ・手羽先…。日帰りではすべて食すのは難しい。今回は時間もないので駅チカで有名な味噌カツに狙いを絞る。

そこで衝撃的な光景に出会ってしまう。



必要以上の威圧感をすぐ隣に感じる。ものすっごい巨漢。多分軽~く100Kgは超え、普通なら隣の人とぶつからないよう椅子が設置されているはずなのに、横っ腹がぶつかる寸前。メニューも見ずに注文するところから察すると、常連か。


気になりつつ、食事が出てくると、さらにビツクリ。

「わらじトンカツ」 -本当にワラジほどある。

巨大な皿に、自分が注文した丼ぶりの器そのものよりも、はるかにデカいトンカツ。そして大森の白米にトン汁。一体どれほど食べるんだ…注文するほうもするほうだが、メニュー化する店も店だ。。

いや、他人の注文にケチつけるつもりはない。問題はその後だ。



僕自身食べるのはどちらかといえば、早いほうだと思う。しかし、その人は僕が2/3も食べ終わらないうちに、巨大なわらじトンカツ+キャベツ山+大盛りごはん+トン汁がテーブルの上から消えていた…。

マジック???それとも、丸飲み?-いや、ワニじゃないんだから。


いくら何でも早すぎはしないか?

しかし食欲の秋。わからないでもない・・・。食べ過ぎには気をつけないと。。出張で秋を感じた瞬間である。

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