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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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12月の七夕
今年もまた、その日がやってきた。

クリスマス・ミサ - 僕はクリスチャンでもなければブディストでもない。
しかしこれだけは毎年、万事を排して欠かさず参加すること14回目 -会いたい人たちがいるからだ。

特に毎年のお目当ては、今年82歳になるお婆ちゃん。


ミサの前日、携帯が鳴る。発信者の表示を見ることなく慌てて受信すると、ゆっくりとした温かい声。
「今年のミサにはいらっしゃいますか?」 - お婆ちゃんからだ。もちろん僕は二つ返事。

その瞬間、イスラエルの地でアップダウンの激しい遺跡巡りを避け、バス近くの木陰にあった茶屋で一緒に楽しくお茶をした記憶がよみがえる。それ以来、大の仲良しなのだ。




社会に就職した当時、外資系旅行会社という今とは全く畑の違う世界で働いていた。

旅行会社とはいえどもツアーや航空券を扱うフロントエンドの企業ではなく、海外ツアーの中身のサービスを予約全般を担当する一般には知られていないツアーオペレーター会社。アフリカを半年弱かけて縦断した経験から、中東アフリカ地域のスペシャリストとして働いていた。


そんな中、横浜のある教会の聖地旅行のアテンダントして選ばれたのが縁の始まり。

初めてのエリアだけに無我夢中でサポートした9日間だったが、添乗員満足度90点オーバーという高い評価から教会に呼ばれるようになったのがキッカケだ。縁とは不思議なもの…。





教会につき僕を見つけると、満面の笑顔で手を振ってくれる。隣同士に座り、牧師の話を聞きながら小さな声で最近の話をしプレゼントを渡す。本当の祖母のように温かい時間だ。


ミサが終わると、牧師を始め一緒に旅した40代から80代までの方々が、僕を見つけ入れ替わり立ち替わり「久しぶり!」「1年ぶり!」と集まってくれる。

牧師が声をかけてきて、来年また聖地旅行に行くとのこと。そこで嬉しい言葉。

「また添乗員をやってほしいんだけど」

いやいや光栄ですが、旅行業界からはとうの昔に足を洗っているので…。できることなら「喜んで!!」言いたいところだけど。



1年に1度の再会 -いつまで続くのか分からない。けれど、ずっと大切にしたい方々であることは間違いない。
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戦友、集まる
趣味といえる好きなコトはたくさんある。スポーツでもインドアでも。

その中で唯一チームで活動する趣味、『アドベンチャーレース』。全スポーツの中でも最も究極なスポーツゆえに、それを共有できる仲間との関係は自然と深くなる。

しかもそれは、チームを超える。


マウンテンバイクを担いで山を登ったり、獣道すらない夜の山の中をコンパスと高度計を頼りに彷徨ったり、数十メートルの高所からロープで下降しながら、1チーム3人が3人最低でも1日で40-50kmの行程を走破する競技だけにゴールを目指す出場者全員が勇者だ。

強いチームもビギナーチームもあまり関係ない。





そんな戦友ともいえるレーサー達が一堂に会した。

レーサー達だけではない。大会の主催者やアドベンチャースポーツのプロのカメラマンまでも30名以上が集まった。

世界では市民権を得たスポーツらしいが、日本は一時期の盛り上がりから下降曲線を描いており、アクティブな競技人口は推定300~500人程。このスポーツをどう今後再発展させていくか、結構みな気にしているのだ。


テーブルのあちこちで2010年を振り返った話題や、主催者と現役レーサーで来年以降の話で盛り上がる。

大会も競技者を奪い合うのではなく、ステップアップできるように協力し合って強度調整したり、裾野を広げる活動に取り組んだりと工夫をしている。


こうしたアドベンチャーレース拡大の草の根活動に関われるのも魅力の一つだ。





別にこのレースに限ったことではない。

国民としての停滞感や生きる力の減衰感を感じている今だからこそ、『生き抜く力』が求められるこうした競技の存在感が必要なのではないだろうか。

大自然を相手にチームや己と戦うところに、人間としてのバイタルつまり生命力の向上の原点があるような気がしてならない。少なくとも自分の中ではそこに価値やヤリガイを感じているのは事実だ。


過度に物質的でデジタル化された現在だからこそ、こうしたベタでアナログな世界で『生』のバランスをとっているのかもしれない。

就活の実態
今年の就活状況が「超氷河期」と呼ばれて久しい。

確かに仕事的にも、雇用統計や大卒就職データを見ても2010年は特に厳しいのはよく分かる。


来年3月の卒業を前にまだ決まらない…と内定がない学生が悲劇のヒロインのように扱われているが、実際に経営者仲間や人事担当者から話を聞いていると、どうもおかしいことが多い。


ある就職説明会での様子。過去にないほどに学生がワラワラと会場に押し掛け、気になる企業の話に聞き入る。中には就職難で鬱になったケアまで行うブースも存在する。しかし一方、ブースがガラガラの企業もある。

この温度差は一体なんなのだ…。





あるニュースでは、「40社も落とされて、人間性を否定されているようです」というインタビューシーンがあった。その瞬間、目が点に…????マークが飛んだ。この一言に食いつくわけではないが、落ちまくっている多くの学生の本音だとすると、腑に落ちない。


まず、たった40社?1996年から就職統計を取り始めてから最もタフな状況だと報じられているにもかかわらず、40社程度落ちたくらいで何を言っちゃってるの?ということ。40社が甘くて何社落ちがさすがに…というかは微妙だが、本当に就職したければ死に物狂いで100社でも回るのではないだろうか。


そして、声を大にして言うが、誰も人間性は一切否定していない!「企業人としての価値を否定しているだけだ」という気持ち。自分の何を否定されていると感じるかは自由だが、少なくとも企業が不採用のハンコを押すのは「うちの会社では貴方は必要ありません・足りません」というメッセージ。つまり、入社して期待できるレベルではないということ。


しかもそういう判断を下されてしまうのは、もちろん面接テクニックなど表層的な課題もあるが、本質的にみると、自分がそういう学生生活を送ってきたからに他ならない。つまり、因果応報なのだ。例えば、いい加減に授業を受け、適当にバイトをして学生時代をすごしてきたくせして、いい企業に入りたいが大変…なんて、極めて都合のいい話だ。

しかも、就職説明会に見られるように、人気業界の2極化が起きている。つまり、内定を勝ち取るには価値がないことしかしてきていない自分自身を棚に上げて、有名な安定企業など自分に都合のいい企業しか受ないという現実。この企業と学生の温度差が就職難を引き起こしている一つの要因であるような気もする。




もちろんこんな不況だから少しでも安定している企業を志望するのは理解できる。しかしそれは皆が考えることだし、内定を奪取できる人材はそれなりに努力をしてきた人間だ。その当たり前のことを理解せずして就職にあぶれてフリーター化し、むやみに将来への不安を自分自身で煽るのはどうかと思う。

どんな企業でも、会社は選べても職種や上司は選べない。最高の会社に入ったとしても上司につぶされるかもしれないし、興味のない部署に配属されるかもしれない。一方、「とりあえず入社」しても最高の上司に巡り合えるかもしれないし、意外と楽しい職種かもしれない。



社会に出たことのない学生にはなかなか理解ができないことかもしれないが、少なくとも自分自身を見つめ自分の人生を自分の価値観で自分の手足で歩んでもらいたいと思う今日この頃である。

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