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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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“何ができるか”から“しているか”へ
少しずつ少しずつ災害から立ち上がりを見せ始めたニッポン。

その中で時折メディアを通して聞こえる声 -「できるを事をします」。


個人的にその表現は好きではない。

「やろうと考えています」とか。
「時間ができたら」とか。


場合にもよるが、そういう中途半端な煮え切らない回答が一番気分を害する。要は、やるのか、やらないのか、理由があって決断ができないのか、それが見えない「うやむやな意思」が最も厄介だ。

曖昧な返答パターンが数回聞かれた時、基本的にその人は二度と誘わないし信用しない。



特にこの時期、「ボランティア活動をしようと思っています」とか耳にすると嫌気がさす。

する意思があったら具体的な行動に出ているはずだ。もしくは少なくともそういった活動情報を行っているはず。生返事・生意思をするくらいだったら、「やってきました」のほうがずっといいし、何も言わずに黙々とやっている方がいい。

つまり具体的行動の見えない意思を口にするのはどこかスッキリしないし、やもすると偽善者風にも聞こえる -本人がそう思っていなくても、実際に行動している側からみると。

行動が伴って初めて、その意思が本物になるから。





企業としては義捐金でも実労働力でもいい、何か混迷している被災地に対して、そして社会に対してできることを『具体的に』するべきだと思う。

HPにお悔やみの言葉だけ掲載するのではなく、堂々と社会援助活動報告を通じて本気の姿勢を見せた方が社会にも社員にとってもいいはずだし、それは自社満足とは違う。CRS活動も同じだ。


「できること」から「していること」へどれだけ早く具体的にシフトできるか。

それがどれだけ小さなことでも、積もればトテツモナイ大きな力になるから -まさに仕分けのボランティアで感じた現実。節電もしかり。


今、自分自身の発言と意思と行動力が試されてるような気がする。
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長すぎるトンネル
被災した方々へ個人ひとりひとりから寄付された膨大な量の物資。

災害ボランティアで救援活動をしている中で、その小さな温かい気持ちに心動かされつつ、どうにもならない現実が立ちはだかる。


そこに集まる救援物資は、被災地に運ぶその時のタイミングや必要物資によって日々異なるものの、食料とそれ以外の物資比率はザックリ1:9ほど。仕分け作業をしていると、多くの時間は非食料のエリアにいることが実際に多い。


その現場とは裏腹な現実があることを最近知った。





被災した現場が求めているモノ - それは『食料』であるということ。

しかも、『今日明日食べる物』。


もちろんタオルや石鹸、おむつや電池、衣料品といったものも必要なのだが、それ以上に圧倒的に食料、いや食事が足らないという。

確かにボランティア活動場所で見ても明らかである。ここに集まる食糧物資の多くは水、米やレトルト、カップラーメンといったものが多い。当然ながら生モノはない。つまり送られた食料は加工や調理が必要なものにならざるを得ない。


では現地で調理などができるか -ライフラインが復旧していないし、不可能ではないが調理能力(生産性)が小さい。避難所にいる何百人、何万人という方々に朝昼晩というタイミングで調理して配給することは極めて難しいといえる。カセットコンロなども物資には多く集まってくるが、せいぜい数家族分の調理ができる程度だし、それを可能にするには何万台というコンロやガスボンベが必要…。

となると即食べられるおにぎりや弁当、パンなどを「工場」で大量生産しないと何万人という被災者の胃袋には届かないが、工場は稼働していないところが多いし運搬にもまだ少し不便なところが多く存在する。




マズローの五段階欲求説の第一段階である「安全欲求」 -食べる・生きるといったベーシックな欲求にどうこたえるか。もちろん日用生活品も重要だが、食べる・生きるという原点があってこそ。


倉庫に積まれた無数の支え合い助け合いたいと願う気持ち。その出番は必ず来るし、その想いは必ず伝わるが、今はそれ以上に「食事」という大きな課題が立ちふさがる。



できることは皆で協力して助けてあげたいが、解決策が見つからない迷宮に迷い込んだ気分である。

歯がゆい気持ちでいっぱいである。
想い、集まる。
多くの局がくだらないいつも通りの番組を流し始めたここ数日。

そんな番組には興味を持てず(もともとだが)、やはりニュースと被災地の様子を刻々と発信し続けるチャンネルに目を向けがちである。


テレビメディアという「バイアス」がかかった情報しか手に入れることはできないが、それでもそういう光景やインタビューを耳にすると目頭が熱くなるのを感じる。最近は特に敏感だ。


命からがら逃げ出しても、物資不足のために避難所で亡くなる赤ちゃんやお年寄り…切なくてならない。

一方で、不安をあおるかのようなメディアによる過剰反応によりガソリンや食料の買い占めに走る人々。別に彼らを責めるつもりもないし、実際自分自身も買いだめとまではいかないが、万一に備えて防災系のアイテムは増えたのは事実。


仕方ないことだが、別のボランティア会場でそんなことを一瞬にして超える事実と遭遇した。





被災地に物資を送る一端を担う救援物資の集配所での出来事。

そこはその会の東京各地域や地元地域から集まってきた支援物資を一極集中させ、荷物を仕分けて再梱包し、街灯被災地で必要とされる物資をそろえてトラックに積載して送りだすという、いわゆる『物資のハブ』の役割を果たしている。

リコーの物流センターの4階。だだっ広く天井が体育館ほどもある倉庫に、パレットに載せられて整理された荷物が山のように置かれている。そして大型エレベーターからは次々と集荷で荷物が届いてくる。仕分けされた荷物一つ一つは倉庫の決められた場所に移動し、仕分けされていない荷物は、一度「仕分け室」なるところを通って梱包され決められた場所へ積まれる。


驚くべきこと、その量たるや!!!


もちろん企業からの提供物資もあるだろうが、そのほとんどが個人からであることだ -当然新品ばかり。


食料・水に始まり、おむつやおしりふき・絵本などベビー用品・カイロ・ティッシュ・タオル・衣料・石鹸などといった日常生活用品から電池やラジオ、スコップやバール、脚立、ジャッキ、長靴など個人からの寄付物資で溢れかえっている。





これら全て人間の善意で集まってきた何十トンというモノたち。


電池などの買い占めが沖縄にまで広がる一方で、モノは違えど誰か一人にでも役に立てば…という想いで提供する気持ち。つまり、モノの数だけ人の心があるということ。


これだけの数が集まる現場で、初めて顔を合わせる人達と汗だくになりながら仕分けを続ける。昔宅急便のハブ拠点でまさに同じような仕分けのアルバイトをしたことを懐かしく思い出したが、集まってきたモノが発する『想い』に心を動かされざるを得ない。


僕は、パレットに積まれ数時間でどこか東北の被災地に運ばれてゆく段ボールの側面にマジックでメッセージをいくつも書いた -「皆の想いを載せて。皆で乗り切ろう!」と。


久しぶりに自分自身が生で「人の暖かさ」を感じた時間 : ONE FOR ALL, ALL FOR ONE.


これからも目に見えない協力・目に見える協力問わず、自分にできることを実際にしてゆこう。

何ができるか?から 何をしているか?へ。
情報端末へのプチ適応
携帯電話が電話機能というより情報端末化・エンターテインメント化して久しい。


そんな中、全く自慢にもならないが僕はすでにいまだに死語と化し世界遺産になりそうな『MOVA』を使っている。

しかも機種は2004年に発売された9cmx3cmほどしかない超超小型携帯:PREMINI Sの4代目。赤外線通信はおろかカメラ機能もない。辛うじてメールとインターネットは閲覧できるが、液晶画面の26万色構成の携帯からしたら0.00005%にも満たない128色構成というお粗末さ。


会社用の携帯もあるが、それこそ連絡が取れればそれで十分であるため、やはり殿堂入りしそうな小型でストレートタイプの超初期型防水携帯である。カメラはついているが所詮おまけ程度。

スペックがどんなであれ、僕にとってのKBFは小ささなのであろう。
いや、話す・メール以上の機能に興味がないのだろう。




しかし今回の地震により、そんな呑気なことも言ってられなくなった。

確かに携帯なのでメール・電話というベーシックな機能は使える。少なくともエンターテインメントガジェットであり携帯電話機能としては全く役立たずだったこと自ら証明したiPhoneよりかは。

もちろん通話制限をされたらどうにもならないが。


しかし、それ以上の情報収集は全くリーチ不可能だった。会社と個人用の2台も持っているのに、だ。

今回は幸いなことに震災にも帰宅難民にも巻き込まれなかったが、もし巻き込まれていたら…と思うと2005年あたりで完全に停止している情報端末機能をアップグレードの必要性を強烈に痛感せざるを得ない。


家族の強い後押しもあり、“会社の携帯”がスマートフォンに変わった。




所感 - なんじゃこりゃ??

待ち合わせ用に、と瞬間だけ借りたiPhoneですらかけ方受け方が分からず、結局待ち合わせできずに相当怒っていた仲間の顔すら思い浮かぶ。


全く使い方が分からない。

機械オンチではない…はず。ただ初めて触るスマートフォンの壁は異様に高い。慣れれば便利なのだろうが、不便で仕方がない。できればコッソリ鞄にしまっておきたい気分だ。


このままでは結局使わず触らず、まさに電話をかける受けるだけになりそうな予感すら感じる。
そうなっては全く買った意味がない。



ニッポンの復興と共に、スマートフォン慣れ対応が急がれる日々である。

行動のスピード
甚大な被害をもたらした今回の天災。

週が明け日が経つと少しずつビジネスが動き出し始め、自社外とコミュニケーションをとりだすと様々な情報が入り始める。


その中でも最も注意を引いたのが『意識と行動化のスピード』だ。

社長仲間と会って話をすると、必ずと言って出るのが「被災地に何をしているか」だ。ポイントは、


「何ができるか」ではなく、

「何をしているか」という

活動の“現在進行形”であるところ。


これは多少落ち着きを取り戻した週明けの活動ではなく、週末からの話題であるところがミソだ。





ある社長の会の一部メンバーは、地震翌日の12日には一気に仲間に援助を呼び掛け物資をかき集め、車と燃料を手に入れて東北へ向かったそうだ。高速は車両通行止めでは?という質問に関しては笑ってこう答えた。

「道路自体が壊れているわけじゃないから、支援物資運搬であることを高速隊に伝えて通行させてもらっている」

しかもこう付け加えた。

「ただ救援物資を運ぶだけじゃない。茨城など近県の報道すらされない被災地域に乗り込み、直接手渡しで物資を寄付し、援助してから帰還するのだ」と。

通常の発想や常識をぶち壊す、凄まじいまでの意思と行動力がなせる技である。


確かに、ボランティアで駆け付けたのに、その本人たちが被災者に交じって食事をしたり寝泊りをする「ありがた迷惑なボランティア」や、自分達が提供した物資がどう使われたか不明な「行き先不明な募金」的なことには絶対にならないのことだけは事実だ。

とはいえ、一方で自己満足的な身勝手な行動、2次被害に遭ったら逆に迷惑をかける…ととられる場合もあるかもしれない。彼らの行動の正否は、受け取る側の人の常識感で変わるだろう。



しかし、一つだけ確かなことがある。

行動は人間の意識・習慣化した無意識の結果である。しかし、意識が全て行動化につながるわけではない。その意識と行動の間に、人間の感情や思考というフィルターがある。このフィルターは良いようにも悪いようにも作用する。

意識したこと・感じたこと・思ったことを全て行動に移してしまったら、ネガティブな感情は大変なことになる。これらフィルターはいわゆる感情(→行動化)の制御という重要な役割を果たしている。一方、ポジティブな感情や想いは、行動化までの時間が短ければ短いほどいいことは言うまでもない。


被害が極小の首都圏近郊でも、メディアの過剰な煽りによってガソリンや食料の買い溜めや買占めが起きている。自分の身を自分で守ることは悪いことだとは思わないし、自己犠牲にしてまで支援をする正義感も微妙に感じる。


まさにここに、震災2日目にして行動に移し東北道をひたすら北上するメンバーの凄さがある。僕自身も震災後2日目に地元地域の救援ボランティアの小グループリーダーとして活動したが、彼らの発想と行動力には感服するとともに、そうした知り合い社長がたくさんいることを誇りに感じる。


社長達がとった行動が正しいかどうかは分からないが、少なくとも僕は即座の決心と行動力を称えたいと思う。

そして、個人資産10億円を寄付した柳井氏にも。


週末はまた上下水道が普及してない地元地域で、ボランティアとして活動を続けようと思う。

頑張ろう、ニッポン。
こういう時だからこそ
大きすぎる爪痕を残した東北関東大地震。

地震当日、部下から勧められて初めてツイッターというものを使った。

中にはデマ・偽情報・事実論ではない主観も多く惑わされたのもまた事実だが、リアルタイムに様々な詳細情報が入るのは確かに便利だ -今さらながら。


その中でも自分が住む浦安は都心とはいえかなり被災したとの情報が飛び交う。それを確認すべく街に出る。

すると新浦安方面は液状化が激しく、墳砂をはじめ隆起・陥没が随所に見られる。地上1.5mの高さまで飛び出たマンホール、地面一帯が40cmほど陥没し生まれた段差、2mほど埋まった電信柱。。。

そこに見たのは「都心の密かな被災地」だった。

DPP_0107a.jpg






被害状況の散策から帰宅し、何かできることがないかと教えてもらったばかりのツイッターを見ると、市内のボランティアを募集しているとのこと。すぐに向かい、登録を済ませて援助に向かう。


僕はリーダーに任命され割り当てられたチームは6名で墳砂で埋もれた家庭のサポート。メンバーの多くが20代で、中には板橋からスコップを片手にボランティアに来た女性までいる。


全員で協力してカーポートや家の前全体に溜まりに溜まった砂を全員で掻き出し、車を使えるようにすることが第一任務。それぞれが勝手に動くのではなく、何をどのような順序で誰が担当するかを決めて作業を進める。まさにそれは企業のプロジェクトマネジメントと同じ感覚。


ボランティアチームと住民が一つになって助け合う -数時間後、車を出せた時は喜声とともにハイタッチで喜ぶ。




なんだかとても充実した時間。

ボランティアをしている、とかいう感覚は全くなく、そこに集まった人全員で協力し合って困難を乗り切る-その一体感がとても心地いい。


しかも最近の若者は…といわれることが多いし僕自身も草食化を懸念したりするが、その若者がボランティアの多数を占めていたのも事実。日本も捨てたものではないなぁとシミジミ感じた時間。


いつもは仕事ばかりでこういった活動や人々と触れ合うことがなかなかないが、企業が社会の為に存在するなら、同様に個人としても地域に貢献する気持ちを忘れてはならないのだ。



被災した日本各地が1日も早く復旧することを願ってやまない。
想いの共有
経営者にとって自分の時間はすべて、ONであることが多い。

しかし時にはキッチリとOFFに切り替えて自分を見つめなおす時間も重要だと思い、ON/OFFを切り離す努力をしている。それでも頭の中は常にONであることが多いのだが。


バカ騒ぎの会も大好きだが、学びも気付きも反省も喜びも何も残らないことが悲しく、ここのところ膝を突き合わせてサシでのお付き合いがメイン。


その夜は以前から深いお付き合いをしていただいている経営者と食事会。久しぶりの再会ということで、男二人だが、個室密会風の豚が旨い店でガッツリと語り合う。




「経営者は悩むことが仕事である」どこかの雑誌に書いてあった言葉。

経営者は社員以上に多種多様な喜びや不安や怒りを抱えている。それを社内では吐露できないし、経営者同士でなければ理解し合えない事が多い。

チーム・社員のこと、事業ポートフォリオのこと、資金繰りのこと… よくもまぁこんなに出てくるものだと思うくらい。


どんなに事業が大きくなっても楽になることはあまりない。逆に嬉しいことも辛いことも振れ幅が大きくなって迫ってくる、といった感じだとその経営者は言う。困難一つ去ってまた次の困難がやってくるエンドレスな世界。でも一つだけ違うことがある。同じ事象に対しては、ショックの度合い、つまり痛みに鈍感になるということ。

言い方を変えれば「強くなる」ということ。カッコよく言えば「器が大きくなる」とも言えるだろうか。


その経営者は過去に2度ほど地獄を見たと言う。しかし四の五の言わずに腹を決めて歯を食いしばって最善策を徹底的に行動に移すのみ。今は元気だし、一回り強くなった、と言って笑う。





目の前ばかり見ていると、目の前の波-本当は小さいのだが大きく見える目の前の波-に翻弄されることが多い。悲しいかな、気付かないうちに。

もっと水平線を見て、大小の波を見分けなければならない。波乗りと同じだ。


ブレない水平線つまり自分の軸をガッチリ持ち、信じて突き進むことが小波や中波を乗り越える唯一の方法なのかもしれない。


密室にこもって延々4時間、経営の話から趣味の話まで息つく暇もなく語り合った貴重なOFFタイム。惜しみもなくアドバイスをしてくれるこういう素晴らしい先輩経営者がいることに感謝しつつ、「悩むことからは解放されない」という命題を背負いながら一歩一歩確実に歩んでゆこう。


やまない雨はない。朝の来ない夜はない - 行き詰まった時はそう思いながら。



>これからもお互い顔張りましょう、Tさん!
続けること
いつものカフェ。

大好きな街にひっそりと開店したハワイアンカフェ。オープン当初からずっと通っている。

大きくはないが、居心地がいい空間と音楽。気が向いたときにフラッと立ち寄っていつものカウンターに座り、「いつものを♪」というと自然と出てくる愛飲するコーヒーを片手に、長年の付き合いであるオーナーや店員と会話する。


何気ない日常、いつもの空間がある8年間。


オーナーに子供ができたため、そのカフェが静かに惜しまれて閉店した。





開店以来、毎年のように○周年記念を常連客でお祝いし、クリスマスや誕生日もそこで過ごすことが多かった。
そのカフェで出会った人たちはたくさんいるし、いわゆる地元仲間となってゆく。



多くの人が立ち寄っては去ってゆく。でも皆が繋がっている、そんな暖かい場所。

僕達にとっては『いつもの癒しの場所』でも、マスターにとってはどんな8年間だったのだろう。



その周りの人間関係も自分の身の回りも変化して移りゆく中で、

ずっとその場所・存在としてあり続けることの意義。

カウンターの裏側からだからこそ見える客観的な現実。

続けるからこそ見える景色。





自分を信じて続けること。信じるからこそ続けられること。そして続けるからこそ、信じられること。


それはカフェも会社も同じ。一つ一つ、大切に積み上げていくしかないのだ。
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