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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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一歩一歩
大幅な組織変更を行ってから1カ月。

地震後のドタバタもありながらも様々な変化・変更がカタチになってきている。


メンバーが変わり増えつつあるのと同時に、オフィスレイアウトの変更を試みた。


これまでオフィスの壁側に向かって淡々と個々人が業務に取り組んでいたオフィス。必要なこと以外はあまり話さず、各人がプロフェッショナルとして黙々と仕事をするスタイル。

僕の社会人としてのほとんどを占める、パーテーションで小チームで区切られ常に最高のパフォーマンスだけを求められる外資系育ちゆえに、そのようなワークスタイルは嫌いではない。そして、この方が落ち着くのも事実。


しかし、ここは7期を目前にして心機一転ガラリとオフィスを変えることにした。





集中しやすいように、真っ白でシンプルでデカイ机と黒いチェアを導入。真ん中には共用ツールをおいて皆が向き合って仕事する一極集中型。これまでほとんどお互いの顔を見ることなく仕事をしていた状況を、顔をあげれば仲間がいる状態に。


また、会議室でわざわざ移動して打ち合わせしていたものを、社内の壁にホワイトボードを設置し関係者が壁を向けばすぐに会議できるミーティング・ダイレクトスタイルを導入。

社内には常にアルファ波をベースにしたクラシックを1日中流し、観葉植物をおき、爽やかなフレグランスをおいてリラックスでき清潔感ある空間に。


まぁどこにでもある変更。 - しかし、たかがそれだけの変更で、意外と人間関係性も変わるのだ。


実際、イヤでもお互い向き合っているから、単純会話量が増える。関係するプロジェクトも、相手の言動が見えるから話しかけるタイミングを取りやすく、密なコミュニケーションに変わる。人間関係がぎくしゃくしない限り、会社に来ても気持ち良く仕事ができるから効率性も上がる。




とはいえ、そんな効果も慣れれば士気など低減することも1000も承知。


そこで社内外関係者を集め、タスクを立ち上げる。

当社が行っているコンサルティングやエデュケーションをより具体的に分かりやすく、かつ超役立つスペシャルサイトを立ち上げるプロジェクトを組んでキックオフ。

『project R』 : Re-organization / Re-start / Re-union / Re-venge そして “Rinen”。


新しいオフィスと共に、一人ひとりのリアルな想いをRに込めて立ち上がったプロジェクト -これまでインディペントな関係性から、一人ひとりがプロでありながらもアメーバ的に補助し合う関係性へ。


変化は自ら起こしてゆくもの。やってみてダメなら次の手を打てばいい。

これからまた、新しい世界が広がることを祈って。
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空気の読める人・読めない人
一時期流行した『KY』という単語 -単語というか文章の短略化。

最近、巷で使われているのかどうかは定かではないが、相変わらずKYな人々はシッカリと存在することは事実だ。


「空気が読めない」というのは、「KY」「KY」と連呼される流行りモノ的な単純なレベルの話ではない気がする。逆にいえば、人間関係性における基礎とも言える『気遣い』という能力が欠如しているという事と同義であると感じる。

つまり気軽に「○○さんはKYだなぁ」という表現は、実は本質的には「相手や集団にたいする気遣いができていない」もっと悪く言えば「自分勝手」「マイワールドの住人」とも置き換えられる気がしてならない。




あるプライベートでの野外食事会、つまりBBQでの出来事。

その会はファミリーが多く、調理も団欒も子供の面倒もすべて同時並行で見なければならない(ある意味厄介な)パーティ。


大人子供合わせて20名を優に超える会で、それぞれ得意分野はあっていいのだが、中には自分の子供の面倒しか見ない父親・母親が存在した。他の人は焼き係を交代したり、他の子供をまとめて面倒見たりしているにも関わらず、他人に焼いてもらった食事をただ食い自分の子供とだけ遊ぶ。

乳幼児やどうしても始終面倒を見なければならない子供ならまだしも、そんなことはない。BBQ場は混んでいないし、木の柵でエリアが囲ってあり車や自転車他の危険性もない。強いて言うなら、他のBBQチームの邪魔になるかならないか程度の問題だ。


そのような環境下で自分の世界に浸ることは「KY」とかいう軽い言葉で済まされるものではないはずだ。


言葉を悪く言うなら、「集団コミュニケーションが出来ない、利己的なヤツ」だといえる。


さらに、終了後大荷物を提供した家族を手伝うこともなく、さっさと帰宅。金払ってお任せBBQしてると勘違いしてるかのような態度には、怒りを通り越して驚愕に値する。




多分どこにでもいるのだろう、こういう残念な人。しかもそういう人に限って、自分で気付いていない。

個人であれ集団であれ『相手・場を気遣う』ということはコミュニケーション要素として必要不可欠な事柄だ。何も会社に限ったことではなく、家族や仲間内といったOFFの人間関係でも求められること。


たかがBBQ、されどBBQ -楽しいはずの場がそういう人間の存在によって台無しになる。



OFFの出来事だけに、より『空気を読む』ことの大切さをシミジミ~と感じた五月晴れの週末である。
ストレス?
普段無意識に感じたり抱いたりしている不安や不満、恐怖や怒り。

総じて『ストレス』。

感じていることを自覚していることは多くとも、その原因は人によって多岐にわたり複雑に絡み合っていることが多いようだ。ゆえに簡単には解決できず、ズルズルとストレスの底なし沼に落ちてゆく。

悪循環。

僕自身は多分、ストレス耐性は強い方だと思っている。

ストレスを感じなくはないが、ストレスを逃がすコントロールなどの解決法は自分なりに理解しているから。いや、耐性が強いというより、上手に付き合えるという方が正確かもしれない。

もちろん仕事におけるストレスはあって当たり前。経営者ともなれば、「ストレスしかない」といっても過言ではないほど、タフな環境に置かれていることが多い。

しかしそれは宿命であり、長年会社をやっていればいろんなストレス要因と向き合い、比較的簡単に処理できるようになるものだ。「忘却」という荒技も使えるようになる。





しかし、最近明らかにストレスと感じる出来事が認知された -大学院での一コマだ。

通っている多くの学生は30代が最も多く、学生を経てから十分にビジネス経験を持ち、そこそこの地位にいる人が多いはず。しかも2年間でウン百万という学費を自分で支払ってくるのだから意識は高い、はず。

以前通っていた企業法人運営によるビジネススクールではなく、今は学校法人としての大学院。ゆえに講義形式も多いのだが、時折ディスカッションも入る。MBAともすれば、理論ばかりやってもあまり効果はなく、ケーススタディやディスカッションで相互に高めあい気付きから学びを得たいもの。

だから限られたディスカッションは非常に大切な時間だと感じている。


ここに思わぬ落とし穴 -受講メンバーで変わるということ。


感情論であることは分かっているが、ある一部はインテリを気取っているのがどうも心地よくない。

いや、インテリ気取りはどうでもいい。僕はできます風の態度とは裏腹に、話が長いうえに要点を得ず、すぐに枝葉の議論に落ちる発言を聞いていると、普段はほとんど感じることのない「イライラ感」がMAXになる。

ものすっごいストレス。

思いっきり耳を傾けてCPUを最大にフル回転させても分からないのだ。自分の理解が足らないのかと思いきや、周りの多くは何も分からなかったと後に聞いた事件があったほどだ。





ストレスは自分でハンドリングできる範囲(内部要因)とそうでない外部要因がある。

前者はコントローラブルでも、後者どうにもならない。そんなことは100も分かっていても、イライラMAXになるのだ。

だってここは大学院。

それなりに意識が高く、予習を入念に行い、全員の時間を尊重して議論に徹する。学校法人でないビジネススクールでもそれが普通であり、同時に礼儀でもあると思う。


久しぶりに感じるストレスというモノ。

このストレス源をどう処理するかはまだこれからだが、さてどうしたものか。
自分との闘い チームでの闘い
自然が一気に色気づく5月。

つい先日萌黄色の全てを包み込むような優しい山々に魅せられたと思っていたら、もう完全に新緑。木々の葉はフレッシュグリーン一色に染まり、スコーンとどこまでも突き抜けた青空に映え風に揺れる。


ドピーカンの晴天の下、毎年ならばアドベンチャーレースで奥多摩エリアで戦っている時間に、今年は会場の裏側にある自社の合宿所に仕事で来ていた。

そこで設立間もない企業全社員の組織一体化合宿を担当。

事業として何をやるかも重要だが、誰とやるのかも重要なファクターである。これは鶏/卵の議論ではあるが、特に事業ドメインが設立当初から極めて明確に明文化されていない限り、方向性は比較的緩く、多少ドメインのブレを感じながらも絞り込まれてゆく場合はほとんと。

その観点からすると『誰とやるのか』はKSFの一つといえる。




若手が多く占めるがために完全にサークルノリでスタートするメンバー。サークルっぽいからといって腹を割った関係であることは言えない。それだからこそ、表層的な人間関係性が見え隠れする。


1日目にプログラムされた3つのプロジェクトは『完敗』。それぞれが次に活かせるよう本質的連携を加味していても、毎回失敗に終わる。ボタンの掛け違いのように、何かがどこかで狂っているのだ。

オブザーバーで参加した社長も、始終渋い表情。行く末を一抹の不安を感じているかのようだ。


もう後がないメンバー。夜遅くまで自主的に自分達を振り返り、初日の悔しさや自責感やふがいなさを全てプラスのチーム・エネルギーに増幅。そして全員の気持ちを一つに、そして新たにして2日目を迎える。そこには前日のメンバーの顔とは全く違った、力のある目をしている -彼らの中で、何かを決心したのことを静かに物語っている。


10時間後、彼らは自分たち自身で課した目標を完全に達成し、誰もが涙した。

達成に対する歓喜だけではない。仲間を助け仲間に助けられ、折れそうになる心に自分で叱咤激励して“捥ぎ取った成功”だからだ。





どんなチームでも、一人ひとりの意識の臨界点を超え、それが総合的にチームとしての臨界点を超えた瞬間、とんでもないパワーとなり全員の気持ちが凝縮・結晶する。

これがチームビルディングの本質だ。


チームビルドを科学すると、その根底には一人ひとりの感情に行きつく。コミュニケーションやら役割分担などは、チームをスムーズに機能させる補助的方法論でしかないのだ。

つまり感情の揺さぶりなくして、チームを結束させることはできないといえる。


その最も奥底のハードルである「自分自身に勝つこと」は、誰かに勝つことよりも難しいかもしれない。それゆえに、それを仲間と乗り越えた瞬間、それまでとは違った世界が広がる。



かくして、その出来立てホヤホヤの企業は事業ドメイン云々以前にメンバーの心が本音・本気でつながり、サークルではなく十分に企業体としての顔つきに変貌した。

この効果はなかなか消えないし、消さないでいよう -自分達の実体験に基づき、自分達自身で気付き、自分達で変わったのだから - そう嬉しそうに語る社長の姿が目に焼きつく。


いつしか、業界に名を轟かす企業に成長することを祈っている。
6月の笑顔
照明のない暗い暗い東北道をひたすら北へ。

これから目に目にするであろう光景に対する不安と、仕事から上がったままの不眠不休による若干の興奮とが入り混じりながらも、時折襲う眠気。いつも話が絶えないレースの前日移動とは違った雰囲気が車内に漂う。


石巻まで440kmの道をサービスエリアで休憩をはさみながら、4人で100kmずつ交代。
幸いなことに渋滞はなく、ただただ走らせるだけ。それはそれで辛い。


6時ごろ、仙台を抜ける。宮城野区に差し掛かると、早くも瓦礫が所々に見られる。それまで定期的な襲来を仕掛けてきた睡魔は一瞬で消え去り、津波の傷跡に完全に目が覚める。




一気に津波の被害が甚大だった南三陸町まで北上。完全に夜が明けきり、早朝の快晴の太陽の光を浴びひんやりとした空気の中に、突然荒野が広がった -三角形に広がる南三陸町の山側の頂点から降りてきたのだ。

こんなにまで遠くに…海ははるか彼方なのに、船が田んぼに横たわっている。3階建ての建物は上から下まで鉄筋しか残されていない。5人が一斉に言葉を失う。


車内は静かなまま、高台にあり避難所となっている小学校や中学校を周り情報を集める。ボランティアセンターなどに問い合わせるのが筋かもしれないが、現地は現地の生の声から集めた情報のほうが鮮度が高い。47カ国に及ぶ海外放浪から染み付いた経験則がそうさせるのだ。


子供たち向けの物資を持ってきた旨を伝えると、想像通り現地のおばちゃんたちが一斉にアチコチの保育園や幼稚園に電話をかけてくれる。そして欲しい物資など超リアルな情報を集めてくれる。




そのうちの一つの志津川保育園。高台にあり1mという僅差で津波の被害を免れた奇跡の保育園。綺麗なままの庭にはまだ桜が咲き、ここだけを見る分には震災などなかったかのような平和な空間。

しかし震災直後から閉園し、園内になる物資はほとんど避難所に回されて中は空っぽだった。


6月に再開し子供たちをまた預かるという。

園長先生に相談し、この保育園のまだ見ぬ子供達に食材以外の物資を全て提供する旨を申し出た。47箱という物資のうち、8割近くをこの奇跡の保育園に寄付した。


運び込んだ物資の山のてっぺんに、マンションの住民の方が手書きで書いて箱に張られた暖かいメッセージを残す -気持ちが伝わるといいなと願いつつ。





こうして場所とニーズを聞いてはそこへ向かう。こうして食事もせずに、南三陸町で4か所の避難所を回り、物資を配る。その後、リアス式海岸沿いに下り石巻しへ。ここでも1か所いまだ電気が来ていない避難所を訪ね、最後の物資を手渡す。

2都市5つの避難所を回り、47箱と様々な食材全てを手渡すことができた。


訪れたのが祭日、かつ震災から1ヶ月半が経とうとしているタイミングゆえに、たくさんの子供達には会えなかったが、それでも直接おもちゃやお菓子を手渡すことができたのは嬉しい。



「いつか志津川保育園の子供達に会いにきてくださいね」


と笑顔で手を振ってくれた園長先生の笑顔が忘れられない。個人にできることなんて、とてもとても小さなこと。しかしそれが集まると大きな『意思』となって伝わる。その小さな小さな気持ちが大切なのだとしみじみ感じる。


このゲリラ支援を通じて、協力してくれた自分達の関係者全ての方々の想いに感謝しつつ、それを届けることができたことに安堵しながら、これからの東北の復興を願ってやまない。
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