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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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いよいよ
今日で自社創設から第7期が終了する。変則決算期はあるものの、なんだかんだで7期なのだ。


2005年に独立してから、我武者羅に仕事をしてきた。

多くの素晴らしき経営諸先輩方に恵まれ、何度も助けてもらったりアドバイスを頂いたりしながらここまでこれたことに心から感謝である。

本当に人に恵まれていると思う。それが自社の宝物であり、士気の源泉でもある。




これまでは、僕を中心に数名のスタッフと数名の社外ブレイン&サポーターでやってきた。

しかし明日、大変化が起こる。

2011年7月1日 『副社長』として仲間が入社するのだ。


彼が会社を辞めると聞いてビックリしたのは数ヶ月前。これまでベンチャー企業の戦略的な人事マネージャーだった彼が抜けるというのだから。長年彼を知っていた僕は、「じゃあうちに来る?」とまるでパーティに誘うような感覚で声をかけた。

しかし安易な気持ちで声をかけたのではない。彼のこれまでの経験や家族構成などを考えたら、そんな簡単に来てもらえるわけもなく、また共に運命をかけるには自社の負担も小さくはないからだ。その覚悟を心の中でキュッとしたうえで、発した言葉でもあった。


それから少し経って、一緒にやる!という回答をもらった時は、久しぶりに鳥肌が立ったのを覚えている。

武者震いに似た感覚。



「一蓮托生で経営をしたい」 彼はそういった。

どんなに厳しい時も、どんなに調子のいい時も、全て責任を分かち合い未来へ弛まず歩む、という意だという。そして笑いながらこう続けた。

「俺が腹をくくった時、「丸山家ごと背負ってやる」と決心したんだ」 


会社経営をするのは楽なことばかりじゃない。いや、イヤなこと9割、嬉しいこと1割くらいだろう。それでも自分のこれまでのキャリアパスと今後の将来のすべてをかけ、そして仲間の全部を背負う気持ちで、会社に入ってくれるという決心は、生半可のことではない。


その気持ちに応えたい、絶対に最高の会社にしたい。彼なら一緒にできる -そう信じることが出来たのだ。



賽は投げられた -明日から新しい自社が動き出す。それは自分自身の新しい船出とも同じだ。

どんな運命が待っていようとも、アーネスト・シャクルトンのように全員で最高の会社を創っていきたい。
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心のリセット
「自分が自分でいるための気持ちの限界」というものを時々感じることがある。

そのほとんどが内部要因ではなく、外部要因である。

前者ならある程度自分でコントロール可能だが、後者はどうにもならない。しかし、どうにもならないと良くわかっていても、どうにもならないことに気分が滅入ったり凹んだり落ち込んだりする。


それは日常生活の中で多かれ少なかれあるだろうし、また外部/内部要因の捉え方にもかなり左右される -自分が誘発した外部要因か、まったく自分に起因しないものか。

まったく自己起因しないものは、「しょーがない」と割り切るしかない。自分ではどうにもならないから。しかし自己起因誘発型もしくは自己関連性が多少ある外部要因 -それはつまり内発的外部要因であるのだが-それによる気持ちのコントロールは、自分にとっては至難の業だと感じる。





そんな時どうするか (実はここまで追いつめた心理症状は自分的には結構ヤバめなのだが)。


そんな時、僕は決まってサーフィンに出かける。

波乗りを始めてから18年 -僕にとって波乗りはただのスポーツではない。


それは『心を調整する場』である。


学生の頃、波乗りをするきっかけをくれた友達が言っていた -Surfing is my life! だと。ショートからロングボードに乗り換えてから数年がたつと、その意味がわかるようになった。

ゆっくりと波を待ち、ゆったりと波に乗る。膝くらいの波、頭以上の波、切り立った波、うねりの波。様々な表情の海を、波に合わせて同化するように過ごす。まさに人生の縮図のようなもの -そういう意なのだろう。


今思い出すと、「負の内部・外部要因を“完全に”心の中で切り離す」ときは季節かまわず必ず波乗りに来ていた。長年の歳月をかけて波乗りはそういう存在になっている。





ほとんど眠れなかった早朝、5時にボードを車に詰め込み、へヴィメタルを大音量で流しながらガラガラの湾岸線をひたすら東を目指す。天候は曇、風は無風か東の微風、ハラムネ・サイズの波がメローに割れていた。久しぶりの波乗りにはちょうどいいコンディション。

6時過ぎには波間に浮かび、数時間、波と戯れる。


そのうち、自然とどうにも感情的に処理できないイラつきや心配事を『割り切る』気持ちになる。

それは忘却もしくは強制シャットダウンにも似た感情処理方法で、時には対象物・対象となる人の決別も含まれる。それが前向きな方法論かは分からないが、少なくとも弱い自分を奮い立たせ士気をリテンションするのは事実。



明日から、また一人会社の仲間が増える。波乗りでリセットした最高の気持ちとモチベーションで迎えてあげよう。
料理脳を鍛える
暖かくなってからというもの、久しぶりにハマってしまったアウトドアライフ。

いや、正式には野外料理、というほうが的確か。

料理は高校生から趣味で始め、大学時代や20代は年末年始はスキー場のペンションの居候としてキッチンでオーナーに教えてもらっていた。酒は弱いが、「美味しく食べる」という基本を徹底的に学ばせてもらった。


平日はともかく手の空いている週末は、大半は料理を担当している -アウトドアあり、キッチンあり。

しかもそのほとんどが、「即決即創」である。つまり、冷蔵庫にあるものを見て“瞬時に料理を決めて創る”。





自分の仕事学なるものの一つに、『料理脳』がある。

良く言われることではあるが、料理と仕事は本質的に似ていると思う。

いかに無駄なくタイミング良くバランスのとれた食事を作るか -たかが料理だが、戦略なるものは存在する。勝ち負けはないものの、限られた資源(食材)で最大限に美味しく料理し、温かいうちに頂くか… まさに勝負。(もちろん複数料理を同時に作ることが前提であるのは言うまでもない。)

いうなれば小さな小さなプロジェクトマネジメントのようなものとでも言えよう。


 ・食事のイメージはまさにゴールイメージ。何時頃にどのような料理をどれくらい食するか。

 ・それにはどんな順序で下ごしらえをし、どんな順序で調理を行い、サーブするのか。


そのプロセスを考えるのが『料理脳』である。ペンションのオーナーがしょっちゅう口にしていた言葉をよく思い出す。

『段取り8割・調理2割』 : どれだけ準備をきちんと行っておくかがスマートな料理の肝であると。





その日思いついた複数の料理をロジカルに分解し、同時並行で組み立てなおす=調理するパズルのようなもの。

その過程をすっ飛ばすと、料理が冷めたり、余分な時間がかかったり、食材が余ったり、キッチンがシッチャカメッチャカになるのは言うまでもない。しかも経験則的に、残念ながらその料理は不味く、自分自身自ら凹むことになるのだ。

料理自体も楽しいのだが、調理を考えるプロセスが実は好きなのである。それを制約条件の多いアウトドアで成り立たせること自体が自分自身に対して挑戦的でワクワクする。


誰かが言っていた、料理をしているとボケないことはあながち嘘ではないと思う。少なくとも、論理的に考えるトレーニングにはなりそうだ。



そんなプログラムを開発しても面白いかもしれない。料理好きの自社No.2と真剣に語ってみようと思う。





無限の知識欲
毎日がぶっ飛ぶように過ぎ去ってゆく。

その感覚的スピードは今まで以上に増していて …知らぬ間に季節が変わる。


そのスピードアップの原因は明らか -『大学院』が原因である。

日々の仕事もドタバタしているが、その忙しさにさらに拍車をかける。大学院1年次1stセメスターは7コマ。時間と仕事を何とかやりくりして、週2日間の19-22時まで、そして土曜日は10-18時の間は『学生』という立場に切り替わる。


そうすること2ヶ月間。やっと『2足のわらじ生活』に慣れてきたところといった感じ。





以前通っていたビジネススクール時代は、本当に楽しかった。MBA科目はみんな初めてで、全てケーススタディゆえにあーだこーだ言いながら議論し、最後に講師にダメ出しをされる妙なドエムな快感。

3ヶ月間隔週でたった6回の講義だったが、死ぬほど予習に時間を割き本番で議論に没頭し反省・復習。そして数十時間をかけて作成するレポートx2本。仕事と勉強の2色のみの生活の繰り返しを3年続けてきたため、本当に鍛えられたと思う。


その点からすると今の大学院は、僕にとっては物足りない。

受け身の講義が多いし、他の学生は僕がかつてそうだったようにビジネスリテラシーや考える力がまだ高くないから議論にならない(もちろんスゴイ方も中にはいるのだけど)。頭の良し悪しではなくとも知識レベルの差がありすぎるのが玉にキズ。


しかし、それらどうにもならない環境を差し引いても、本当に大学院は楽しいのだ。





大学院選択時から指導教授を絞り込んで入学し、様々な授業は取らずに組織論と経営戦略だけに特化して専攻。そして1年次から2年生のゼミに特別に参加させてもらい一緒に学ぶ。そして入学したての今から、自ら進んで卒論2本を書く予定で指導を受けている。


何が自分をそこまでドライブするのか? それは多分『知識欲』。


知ること・学ぶことがこんなに楽しいなんて。以前のビジネススクールではついて理解するだけでMAX MAXだったが、今はそれを土台にして知識を租借反芻しながら、理論と現実をつないで理解できるからだろう。


実現しえない本音を言うと、「フルタイムの大学院生になり、もう全部学びたい!」。ブランドマーケからリスクマネジメント、社会心理学まで興味のあるクラスは山ほどあるのだ。それらがリアルで役立つかは別としても、経営という大観的な視点で仕事をしていると、意外とひょんなところで実になったり。それも楽しい。



もしかして研究職のほうが向いているのでは?とフと考えてしまうほど、楽しい大学生活。
経営との両立があるからこそ、であるのは言うまでもない。

SOL:スロー・アウトドア・ライフ
北アルプス育ちの山屋(山が趣味な人)である父親に5歳からキャンプや山登りに頻繁に連れて行かれて育った僕にとっては、アウトドアというものは「生活の一部」である。

とはいっても自然の中で生活しているわけではなく(よく言われるが)。自然の中で過ごすということが特別ではないということ -アドベンチャーレースもサーフィンも野外料理も、そして仕事の一部も大自然の中ゆえに。


それでも、最近の自分のOFFテーマになっている、『SLOW OUTDOOR LIFE』。


性格なのか趣味の性質なのか、これまでのアウトドアライフはとにかく忙しい。

忙しいというか、野山海川を走る・漕ぐ・登る・乗るという極めてアクティブな ~一般スポーツ以上に~ 過ごし方がメインになってしまっている。「自然を味わう」、といより「自然と共存しながら戦っている」ような状態。


それらを離れて、自然を心と身体を癒す環境として位置づける、というのが『SOL』なのである。





アウトドアといっても意味するところは広いのだが、自分の中のSOLの中心は『食』である。

もともと高校生から趣味で続けている料理ではあるが、いかに自然の中で戦略的にシンプルに極上の味に仕上げるを考え、実行するのが楽しい。逆説的にいうと、例えば、僕そこいらで行われているおよそ98~99%に相当するであろう一般的なバーベキューは絶対しない。 


理由は、「不味いから」 - それだけ。 

だって考えてみてほしい。仲間や家族などが集まってチームビルドよろしく楽しむことは最高だ。しかし不味いものを我慢しながら「皆で食べると美味しいねー」なんて戯言を吐いてまで偽りの時間を共有したくない。だったらまだ場所や手段を変えた方がよっぽどいい。

そして僕が「不味い」という理屈は明白である。

① BBQグリルでいい加減で部分的に“バラバラ火力の炭火”で、
② その辺のスーパーで買った100gで130円くらいの“不味い肉”をそのまま、
③ ドバーっと網の上にばらまき、完全に“ウェルダン”にまで火が通った物体に、
④ 1瓶190円くらいの“不味い焼き肉のタレ”でベタベタに浸して食す。

そんなモノを旨いと思うのはよっぽど味覚がおかしいとしか言いようがない (個人満足にケチをつけるつもりはないが)。


それらが家の食卓に出てきたことを想像してほしい… 寒気を感じやしないだろうか。いや、自然・仲間・家族というモルヒネにも似たミラクル調味料が旨く感じさせる幻想も十分に理解はできる。が、少なくとも不味いものは不味いし、僕は決してそんなモノを食したくない。


高い肉がいい!というそんな陳腐な話ではない。そんなものはレストランで食えばいいのだ。





美味しく食したければ『手間暇を惜しまない』=つまり事前に下拵えを行い素材の味を引き出し(ごまかし?)、ワイルドな環境下でも『キッチリ調理をする』=最高のタイミングで食す、ことが重要だと思う。

どんなにいい肉でも普通の肉でも、下拵えと調理で-俗人的に言うと料理人の腕で-決まる。流行るレストラン・ガラガラのレストランの差と同じ。


そこに「戦略的に」が効いてくる。それが自分のSOLの楽しみでもある。

極一般的な食材を、どこまで美味しく食することができるか -そこに思考と労力、および行動選択に情熱を注ぎ、最高の『食』をゆっくり愉しむ。


一見どうでもいいそのプロセスそのものが、最高の贅沢というものであると僕は思う。


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