FC2ブログ

焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
本当の意識変化の瞬間
もうすでに3月の最終週 - ここから怒涛の合宿嵐13連発が始まる。


第1発目となった昨日は、僕が長年パートナー講師を務める河口湖にある清水国昭氏の施設でキックオフ。

上場IT企業の若手ゆえに、事前議論では頭の回転は速いし、言葉尻では説得感ある高い表現をしてくる。僕の20代前半なんて、斜に構えまくり、煮ても焼いても食えないヤツだったことを恥ずかしく感じるほどに。


しかし、我々のプログラムはすべて実体験⇔内省に基づく“本物の学び”を得るスタイルである。

言いかえれば、『行動結果からしか真の学び=腹落ちして納得感ある学びは生まれない』。



議論水準と実体験の結果は… それはそれはヒドイ(失礼!)乖離があった。「口では何とでも言える!」と、どこの上司も思わず怒鳴りたくなるような、そんな残念!な1日目。


悔しくてフガイなくて泣き出したほとんどの参加者たち。

その感情は、外部要因的な涙ではない。頭でアウトプットした事実と、自分自身の行動結果の大ギャップな現実を目の当たりにし、心底驚愕し、そんな自分への反省や悔しさ~自己対峙~からの“本物の涙”である。





翌日は、前日の涙・悔しさ・反省・学びをバネに、徹底的に自分達自身で決めた行動コミットを10時間というプロジェクトを通じて証明する1発勝負が課される。


今回は勝手知ったる常連クライアントの人事担当者からRQされたスペシャルハードなワーク。

長距離・洞窟・山道・雪道・タイムリミット・体力知力の限界… 本気さ・達成へのこだわり・仲間との信頼関係・絆が試されるタフな独自プロジェクト - 『アドベンチャーハイク』。

それは、思わず「体育会系過ぎだろ!」と出てしまうような。

いや、体育会系とかそういうのはどうでもいいコト。どんなにキツかろうが、『チーム・自身“自らが主体的に取り組み”、その取り組む過程において気付きと納得感→成長をのぞむベストな手法』が、そうであるだけである。

(そもそも例えばロープレ程度で、意識変革が自然と起きることは絶対にない!)



前日の涙がバネになり、勇敢果敢に自主的に取り組む参加者たち。やらされ感は微塵もなく、目の色が変わっている。そういった「成長の過程」を踏んで成功というゴールを手にした参加者は、再び号泣。

達成感と充実感と、仲間への感謝、そして生まれた自分の中の小さな自信からのバージョンアップした涙。


気がつくと、参加した人事トップも目を赤くしている …心から彼らの変化ぶりを喜んでいるかのようだ。





間違っても「青春」なんかではない。

人間の本質的な成長過程に必要不可欠な自然な『自主感情』の発露である。

自分達の手でかけがえのないものを手に入れた涙。嘘いつわりのないピュアな感動とでも言えよう。



単なる数日間で、ガラリと人が変わるなんてありえない。しかし、彼らの感情を伴った行動変化の数々は、気持ちの変化トリガーは確実に引いたことを証明している。本当の意識の変化は、自分の中の自然な劇的な感情を伴って初めて、起きるものだから。



そんな彼らを見ていて、つくづく再確認をしたこともあった。


「質よりも人を増やして数をこなして儲ける」ような企業ではなく、一社一社ありったけの情熱と想いと期待を込めて、ともに成長できるような、そんなコンサルティング&エデュケーションを提供し続けていきたいという、会社設立当初から変わっていない自分自身の想い。


創業8年目、あらためて自社の不変な想いをかみしめた、富士の麓であった。

スポンサーサイト
身体の維持
ストイック - ≪ 自己抑制的な・禁欲的な [日本国語大辞典] ≫

意味そのものを考えると、過度なストイックさは精神に良くないような気さえする。

しかし、歳を重ねるにつれてストイックさを持たねばならないこともあるように思う -誰にも平等に訪れる加齢という名の時間経過。これにはどうやっても逆らえない。


精神は経験と時の積み重ねにより、より味わい深く濃密なものになってゆく。

一方、身体は意に反して老化と退化を重ねてゆく。


この明白すぎる事実と自分の人生を重ね合わせた時、どう捉えるかはその人次第である。




人生とは、原因と結果の積み重ねであると思う。

言いかえれば、来年の自分=結果は、今の自分の積み重ね=原因ということ。つまり自分の人生は現在の一瞬一瞬のミルフィーユみたいなもの。もちろん突発的な外部要因で変わることもあるけれど、少なくともコントローラブルな範囲では、その理論は成り立つ。

とするなら、精神は歳をとらなくとも、身体は必ず衰える -しかしそれを遅らせることはできる。


『思い通りの人生はシャープな体に宿る』 

まさに体が資本。痩せてればよく、デブはダメだという意味ではない。いかに自分に必要な範囲でのストイックさを維持できるか、が重要だと思う。

ストイックであることは、僕の中では「すべき努力をすること」を意味する。


自分自身は常にシャープな身体でいたいと願う。一生ジーンズのサイズが変わらず履き続けることができるのはカッコいい。オヤジだからとか、年とったからとか言い訳して生きたくない。

アドベンチャーレースのオヤジたちは、本当にすごい。40代でも常にトップに君臨する体力=体力を維持する努力の積み重ねは尊敬に値する。




高校時代から30歳まで不変だった体重は、その後不覚にも最大8kg・平均5-6kgオーバー。

危機感を感じた35歳からアドベンチャーレースやトレイルランニングで身体を絞り始め、しなやかで細マッチョな身体作りをしてきたものの、昨年は大学院で全く時間が取れずにマラソンすら断念(その代わり、徹底した低インシュリン生活を続けたが)。


そして大学院1年次も終わり、マラソンも再開し体脂肪と体重の管理に努める。

現在は体脂肪14%、BMIも21.7、体重も高校時代からのベストから+1.5kgとまぁまぁなスコアにまで改善。


自分が目指す不良中年な40代は、30代から準備しないとなれない。気持ちはどうにかなっても「老化」という魔物は待ってはくれない。美容専門医の友人曰く、「老化は元に戻せない」。つまり気を抜けないのだ。


自分の怠け心や食欲に甘えることなく、高い理想を持って日々生活していきたいものだ。

戦友が意味するもの
友達という人間関係を表す言葉はいろいろあるように思う。

他人から始まり、知人 → 友達 → 仲間 → 戦友 → 親友 というように。

すべて感覚知であり、その境目は曖昧だけれども、少なくとも僕の中では使い分けている。

分けているから態度を変える、というような器用なことは出来ないし、する必要もないが、意識・無意識にかかわらず、心を許す・信用するという感情論では明確に違う。


学生から社会に出ると、会社内では上下関係があるためになかなかこういう概念を考えることは多くはないが、会社外での集合体で活動していると、ヒシヒシとそれを感じることがある。




その人間関係性はある種生き物に近い。感情論や事件によって『友達レベル』は、必ずしも固定的ではない。

ただその中でも『戦友』という位置づけの人間関係は面白い。読んで字の如く、『戦った友』 -言い方を変えれば、共に苦楽を乗り越えた仲間以上の関係性とでも言おうか。


これは「時間の経過とともに色褪せないこと」が興味深いのだ。

実際、ビジネススクールに通っていた頃の戦友とFACEBOOKで多数再会した。2000年前半のタフな授業を乗り切ったメンバーゆえに、一瞬にして関係性が戻るのだ。


もちろん、全員ではない。しかし、たかが3カ月間合計6回しか顔を合わせていないメンバーが、こうして10年の時を経てもなお「戦友」として再会できる。まさに戦い=学びの過程を共有していたからに他ならないだろう。


お互い切磋琢磨し合い、議論し、助け合い学びあった「本物の仲間」が“戦友”という言葉にふさわしい。





その一方で、同じ時間を長い時間過ごしても、友達どころか「他人・知人」レベルという人も多くいる。実際、大学院の卒業生からは、70名前後の同期がいても、卒業後会うのはゼミの数人という現実話を聞く。

別にそれが悪いことだとは思わないし、全員と仲良くなる・理解してもらえる、なんてこと自体が虚像。大切なのは、どれだけ真摯にかつ楽しく相手と向き合えたかである。ゆえに100人の上辺だけの知人より、10人の仲間・戦友のずっといい。



先日再会した14年前の会社立ち上げ参画時の戦友、4月に各地から集まるグロービスの戦友、そして大学院の仲間。

こうした多くの仲間や戦友に恵まれるのは、自分の態度一つ :鏡の法則である。



それを肝に命じた上で、本物の仲間・戦友・親友という間柄を醸成してゆくことが、人生に豊かさをもたらすものだと思う。

Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。