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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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時計を外して
社会人になってからというもの、夏休みというものを知らない。


学生時代の就職活動の時点で、外資系だけを受けていた。その後も外資系企業を渡り歩いてきたこともあり、「お盆」という概念が希薄な傾向が強く、当然夏休みという考え方はあまり浸透していなかった。


外国人上司の「Summer Vacation」はあったが、それはSummerに限らず。社員も好きなタイミングで、有給が許す限り好きな休めた。20代、海外放浪が趣味の一つだった僕は、最大3週間ほど日本を留守にしたほど。


どうせ盆の時期など、どこに行っても人人人…な上に全てトップシーズン料金。そんな時に休む方がイカれている…と外資系的自由を満喫していた自分だが、会社を設立し、初めて盆という休暇を取ったのが今年。


もろもろの事情により、盆休みが盆休みではなくなり、先週末が人生初の「夏休みっぽい週末」にあいなった。





昨年から再開したアウトドアの趣味。長野育ちで山男だった父親によって5歳から本格的なキャンプを仕込まれて育った。また料理の得意だった母親から高校生から料理を教わり、学生時代以降ずっと居候していたペンションのオーナーにも従事していたこともあり、アウトドア=豪快本格料理的な公式が染みついていた。


過去も遊び程度には楽しんできたが、今年、仲間の誘いで調理関連を中心にアウトドアライフを始めたのだ。


キャンプと言えばカレーやBBQ、という一般式は悪くないが、料理を趣味とするなら調理器具や料理にも気合を入れるべし、という維持にも似たコダワリ。

そして凝りだしたら止まらない性格によって、衣装ケース1.5箱分の調理道具が揃ってしまった。いわゆる2バーナー的なイージーで便利なアウトドアではなく、焚火台で炭や焚火を起こしダッチオーブンを使用して数時間かけて調理をする玄人的な方法論で。





今年の夏休みらしい時間は、まず腕時計を外す。そして携帯の電源を切る。これが基本、ロハスなアウトドアライフは時間制約からの解放が重要。

そして、贅沢に2-3時間かけてゆっくり料理を準備し、数時間かけてゆっくりと仲間と語り食し酒を楽しむ(あまり強くはないが)。偶然にも貸し切り状態のキャンプ場には、ランタンとロウソクの光だけ。

そこそこ標高もあり秋の匂いがする心地よい風が吹き抜ける。空を見上げれば、東京近郊ではありえないほどの無数の星。BGMには虫の声。まさに絵に描いたようなキャンプシーン。笑


そんな中で、一人想いにふけったり、目を瞑って五感で自然を楽しむ贅沢。季節の移り変わりを体感できる幸せ。

なぜなら、仕事でしょっちゅう山の中に入るが、こうして純粋な自然を「堪能」する時間は皆無だから。



そう考えると、あらためて夏らしい時間と空間であることを強く感じる。

これからまだまだ変化や多忙な毎日が続くが、こんな時間を楽しみに頑張るのも悪くない。
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敬愛する人
人生でも、本当に心から尊敬できる人の存在は非常に限られているように思う。


誰が誰を尊敬しようと勝手だし、単なる業績や成果でそう判断してもいいだろう。しかしそれはその人の行動結果であり、本人の「生き様」そのものではない。


しかし僕の中では、少なくとも「実際に深く付き合い本心に触れ、心の奥底にある“魂”に共感した人」が尊敬に値すると思う。そして僕の言葉で表現すると、尊敬に親しみの意を加えた「敬愛する」となる。


これまで、特に独立してからは数え切れないほどの多くの方々とお会いしてきたが、その中でも最も心から“敬愛”する人がいる。

先日、その方と3年ぶりに再会し、会食を共にした。





33歳という経験の少ないひよっこなんちゃって経営者を受け入れてくれたT氏。そこで共に我武者羅に働いた2年間は、本当に熱い濃く学び多き時間だった。

その期間において、幾度となくその方の「凄い!」という感心と感動のため息しか出ない言動を目の当たりにした。

「凄い」という言葉を使うとチープな表現になってしまうが、もう到底敵わない、なんなんだこの人…という仙人といっても大げさではない程に、尊敬の眼差しを送らざるを得ない感じとでも言おうか…。もちろん、経営チームであったからこそ彼の苦手や不得意な部分も良く分かっている。それらを理解した上で、そう思うのである。


46歳になった今も、以前に増してスマートで思慮深く、向上心を持ち、笑顔と謙虚さを保持いることを会話から十分に理解することができる。僕から見ると(嫉妬心からかイラッと来るくらい(笑)「キラキラ星人」過ぎて、自分が悲しくなるほど。30代前半で過ごした頃の印象と寸分違わず、相変わらずまさに自分自身の見本となる人物そのものだった。


彼が言った 「あの頃から変わったと言うと、利他精神から喜他精神に変わったことかな」

喜びとは、仲間の成長の事、でもまだまだ…とサラリと付け加えた。





肩を並べていた頃からずっと、40歳になる時にこんな人物になれるのだろうか?とよく考えたものだ。

また何か重要な出来事 -特に感情的なこと- が起こった時は、T氏ならどう行動するだろう?と想像したことも数え切れない。


T氏のような性格になれるとは思わないし、そもそも過去から積み重ねてきた環境と言動のみが自分を形成する。
ゆえに自分は自分でいい。

しかし、敬愛に値する人物が存在するなら、少しでも素晴らしいところ・共感できるところを見習いたい。そんな思いから、会食から帰宅後、その日に交わした会話で心に刺さった言葉を書き出して整理し咀嚼をした。


そしてこんな語群がハラワタに染み入った。

「笑顔で過ごすという意思」+「謙虚と感謝」⇒ 『心穏やかで充実した日々を過ごすカギ』

思い起こせば、これも当時彼が実践していた事でもあった。


ということは、ある意味今回の会食は、自分が経営者なりたての頃に感じた「理想の人物像の要素」に原点回帰できた機会とも言える。


あらためて、素敵な時間を頂けたT氏に感謝するとともに、再度自分自身に言い聞かせつつ日々を過ごしていきたい。


積上げ力
「努力」という言葉はあまり好きではない。なんだかホシヒュウマのような血の滲む想いが連想されるから。

しかし、「努力」する行動自体は嫌いではない、多分。


キャラクター的には「一発ドカーンと派手にぶっ放す、勝てばラッキー負けたら奈落の底、まぁでも明日があるさ」風な脳みそお花畑お気楽タイプに見えるのは自他共に認めるところではあるが、実は真反対なタイプ。

ドエムのように努力が好き、というわけではないが、何かを成し遂げるにはコツコツ積み上げることが最も早いと信じているのは事実だ。


確か、イチローも同じことを言っているようだ― 「毎日同じことを積み上げていたら、こんな遠くまで来ていた」と。同じレベルで語ることには若干の抵抗があるが。





コツコツ積み上げるのは、自分の中では努力ではなく、「計画」という認識の方が強い。何か目標や目的があって、「努力して到達する」という感覚より「計画的に辿り着く」というイメージ。

もちろん計画を立てて、達成のために日々少しずつ進めること自体、制約の多い通常生活の中では難しい。それは物理的な制約もあれば、精神的な制約もある。それをコントロールしながら、一歩でも二歩でも前に進めるよう行動するのは、もしかしたら「調整力」とか「意志力」という能力の方が求められるのだろう。

多分、その積み上げのための時間を確保するためには調整力が必要であり、時間を作り積み上げを行うためには意志力が必要で、その両方が有して初めて「コツコツ」が可能になるのかもしれない。




今の自分自身で捉えると、いかに修論と向き合うか?という課題がある。

人生で初めて本格的な論文を書くという一大プロジェクトゆえに、一夜漬けが可能なわけがない。先輩には11月くらいから一気に書き始めたという猛者もいるが、それは書けるだけの情報収集と、一瞬で正しい論理構成ができる頭脳がなせる技。凡人には不可能な芸当である。

ゆえに、日々少しずつ取り組むしか方法はないのだが、文字数という定量的な指標が見えるからだろうか、それが意外と楽しい。修論の最低文字数は2万字なのだが、5章構成の第1章ですでに2万数千字を突破。6月に書いた雑ではあるがその実験結果(第3・4章)を入れると、すでに5.5万字を突破。目標10万字に対して夏の時点で50%、12月までであと半分。まぁなんとかなるだろう。


しかし。

大学院という言い訳をしてサボっているマラソンや基礎体力作りは、どうにも進まない。アドベンチャーレースやトライアスロンは置いておいたとしても、基礎体力作りと維持をしておかないと、自分のイメージするシャープでスマートな40代は過ごせない。わかっちゃいるが…なかなか、なのである。

朝に夕に皇居外周や地元を走るランナーを見るたびに自己嫌悪の念に駆られる。なら、走れ!と思うのだが、そのあたりの意志力が弱い…。人生を中長期的視点で捉えて、自分自身にコミットしていないからかもしれない。



授業数が減る後期は、涼しくなるというポジティブな理由付けで、週1くらいは10~15キロほど走ろうと思う今日この頃である。
やるヤツ・やらないヤツ
最近、自分も含めて仲間に何故かあわただしい変化が起きている。


変化は十人十色であるが、そうした変化に対する個々人の対応は、意外と二極化しているように感じてならない。


そしてその対応によって、因果の法則のごとく、その後の更なる変化も異なってくるのだが、その時点ですでに2種類のパターンがあるように思うのだ。


それは、シンプルに「動く人」「動かない人」である。

ここでいう「動く」とは、「改善の努力を自ら行う」という意である。





その変化に対する改善行動対象も、内部解決型と外部依存型に分類される - 「自分で何とかできること」と「自分ではどうにもならないこと」、つまり、問題の外部要因と内部要因がある。

また、それらに対する改善努力は、自己解決型と外部依存型がある。


外部誘発問題x外部依存型解決は、じっと解決されることを待つしかない。逆に、内部誘発問題に対して外部依存型解決は、単なる「責任転嫁」である。

それ以外の組み合わせ、つまり外部誘発型問題x自己解決型と内部誘発型問題x自己解決型
は、すべて自責による改善行動による。



様々な変化に直面している友人や知り合いを見ていると、全員この4パターンのいずれかの行動を取っている事が分かる。


個人感覚的にその分布を割合化すると、

外部要因x外部依存 : 極少
外部要因x自己解決 : 極極少
内部要因x自己解決 : 少
内部要因x外部依存 : 多

という感じ。つまり、自分が引き起こしたことなのに、自分で改善・解決しようとしない人が多いように思う。





多分、そういう人はこう言うだろう -「人間、そんなに強くない」と。


それは分かる。しかし少なくとも問題が内部要因であるなら、自分で何とかするしかない。他責にしても何も始まらない、問題な現実を放置しても何も良いことは生まれない。


普通の人はそれを分かっていても、なぜ放置するのだろうか。

意思の強さの問題? あきらめ? そもそも問題だと思っていない?



それは本人のみぞ知るのだろう。


しかし、自分で何とかしないとどうにもならないと分かっているなら、もがいてみるしかない。その苦悩の先にしか、解決はないのだから。


誤解を恐れずに言いきると、僕は努力しない人は真の愚者であると、自戒の念を込めて自分自身に言い聞かせている。


できないことがダメだとは思わない。努力してできないのは仕方ない。努力の量か方法が違うのだろう。

努力が必要だとそもそも思っていない人は… しかたない。

努力が必要であることを分かっているのにしない人、それが良くない。もっと悪なのは、必要であり頑張ると公言しておきながら、何もやらないヤツ。自分が変わらないと、他人に迷惑がかかると自覚しているのにもかかわらず、やらないのは本当に最悪。



未来は、その努力をするかしないかで決まることもまた事実である。


努力をしない・できない人をとやかく言う気は毛頭ないし、僕自身も行動に移せていない努力すべき点は多々ある。


ただ少なくとも自分自身の中で可能な限り、「愚者になるな、負け犬厳禁!」努力は常に常にしていきたいと自分に言い聞かせる日々である。
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