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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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料理とポジティブシンキング
季節外れの台風上陸、きっと通り過ぎた後は一気に秋が忍び寄るだろう。

食欲や運動の秋という快活なイメージと表裏一体で、物悲しささえ感じる季節。


それが人生における岐路だったり心配だったりが重なると、アンダーな色が濃くなるのは気のせいだろうか。


しかし、アランは「悲観は感情によるものであり、楽観は意識によるものである」という。


意識することでオプティミストになれるということか。人間は感情の生き物であるとするならば、意識することで多少のコントロールは出来るだろう。

どうにもならない外部要因を過剰に嘆いたり憂いたりしてもどうにもならない。ましてや、他人にぶつけても愚痴を吐いても意味がない。ゆえに、アンダーな自分を察知した時に、いかに意識でプラスに持っていくか。


よく分かってはいるのだが…。





そんなジレンマを時には抱えるが、今日はリビングにボッサを流して気分転換にキッチンに入る。

本格化する秋を迎えるがごとく、『秋のレシピ』と勝手に題して一人調理を愉しむ。


誰かが本で言っていた - 料理は頭の回転を速くすると。 確かに出来上がりタイミングを考えて、全て同時進行で進めるには、段取りとスマートな動きが求められる。料理タイムは自身を理性的に、そしてプラスの気分にしてくれる。



ダッチオーブンを使ってじっくり煮込むクラムチャウダー

秋サケといろいろキノコをふんだんに使ったムニエル

ガーリックトーストとサイフォンで淹れた贅沢コーヒー

ドルチェはなし。


ここまでやるならキャンドルでも灯すのもアリだろうが、気持ち悪いから却下。

その季節に合った美味しい食材を、美味しく調理し、美味しく頂く。

しかもイタリア人のように、早い時間の夕食は非日常風で気分転換にもなる。




こうして自分のポジティブな姿勢は自分で創る、いや自分しか作れないのだ。

やりたいこと、やらなくてはいけないこと。それでもやりたくないこと。人生にはいろいろあるだろう。どうにもならないことを嘆くのではなく、自分でもがき自分で解決するしかない。


それでも、手を差し伸べてくれる人は必ずいる。しんどい時にそばにいてくれる人が、本物の人。心に余裕がない時は、それすらを忘れてしまう。


時には誰かの気持ちに甘えるのもあり -そのための人間関係だから。少なくとも、手を差し伸べてくれる人の気持ちは大切にしたい。誰でもいろいろな想いを抱えながらも、大切な人のために想いや時間を割くのだから。

それさえも見失ってしまったら、それは悲劇であり、自分の小ささやエゴに苛まされる。


本物の人間関係を大切にできるなら、気持ちもポジティブになるだろう。

見失ってはいけないものを、ちゃんとこの手で守っていきたいものだ。

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心と身体を整える
朝晩は冷え込む今日この頃。

先週の雨の週末以来、一気に秋の気配が忍び寄ってきた感じ。


あれだけ暑くてどうしようもなかった夏なのに、すでに寂しさすら覚える。
毎年、昨年の夏は暑かったか?冬は寒かったか?と比較できないほどに忘れ行くのだが。


それと同時に、肌感覚としてはとてもサラリとした気候で過ごしやすく、自然と活動しやすいのも事実。




秋は、「心」と「身体」を整えるのにとても適している。

本当は寒暖に無関係に、いつでもそうすることが理想なのだろうけど、まだまだ気候に左右される。

とはいえ、意識し続けることも、また重要。


ここのところ、四十路を前に様々なことが頭をよぎる。

「不惑の年」…どころか、今まで以上に迷いまくっているのが悲しい現実だ。それを認識しているだけに、より一層、意識して心身を整える必要がある。


昨年はそんなことも考えず、自由気ままに仕事と大学院生活に追われていた。

しかし、四十路を手前にこんなにも考えるなんて。それは一枚の決定証拠からだった。





先日夏の写真を整理していて、愕然したショットがあった。

分かってはいたが、客観的に証拠に残るとショックな一枚 - それはキャンプ先の渓流で過ごした時の上半身。


一切のアドベンチャーレースから離れ、運動が減ってからというもの、食生活には相当気を使ってきた。
が、カロリーコントロールだけでは限界があり… ジーンズの上に少~し写るブッタイ!!


自分史上ありえない、あってはならないことに猛省。

今は体脂肪 13%ちょっとまで落としたが、筋肉がついたわけではない…それは微減する体重が証明している。
もう少しだけ筋肉量を増やし、精悍なスタイルにしたいところ。

ちょっと気持ちが緩むと身体も緩む -まさに心身ともに整える人生的タイミングに来ている。



敬愛する人から繰り返し教わった、常なる「感謝と笑顔」をもって、心を穏やかに保ちつつ身体はシャープに。


秋の目標である。
手探り
いよいよ大学院後期が始まった。

昨年前期が終わってから仲間が増え、去年の今頃はマーケティングの勉強会を開催していた記憶が新しい。


M2(Master 2nd Year)になった今、やることは一つ、修士論文。

2か月ぶりに仲間に会って発せられるオキマリの言葉。

「修論はどう?」


人に聞いてどうにもなる話ではないのだが、やはり気になる。
また相手が進んでいるほどプレッシャーと危機感から気合が入るのは事実。





自分の論文はと言うと、学会の参加以来止まっているのが事実。

基本的な先行研究はほぼ終えたが、今後の展開で止まっているのだ。


これまで仕事上で経営理念の構築や浸透による組織変革に携わってきて、その理論的バックアップや自身の経験の理論化のために研究をしてきたが、現在は闇の中に突入。


単なる経営理念周りの包括的な情報収集と整理と、自分が論理化したい方法論とが乖離しすぎている感が否めないのだ。


なんだかんだで8万字まで積み上げてきたが、文字数が多ければいいってわけじゃない。しかも博士課程を視野に入れた論文にするとなると、修士卒業程度の甘っちょろい構成は自殺行為に等しい。


どうしたものか。





昨年の今頃、先輩達がヒィーヒィー言いながら書いていた気持ちが分かる。

この「煮詰まった感」が精神的にきついのだろう。


ただ、こうして高い成長意欲と向上心から、自らが選択した『働きながら大学院』という現実の中で、精神的にも肉体的にも、ある意味自分で自分を追い込んで何かを成し遂げるということは、きっと人生において自信となるのだろう。

まぁそう信じないとやっていけないのだが。。。



先輩経営者がこんな言葉を行っていた。

「迷うことは、成長の一歩である」と。迷ったり悩んだり…つまり何かしらの『痛み』がなければ成長しないという意であると思う。


まさしくNO PAIN, NO GAIN.


まだまだまだ悩みは続く。。。
柔と剛
久しぶりにお会いしたいと思っていた経営者と再会した。


経営者と会うことがほとんどであるが、どこか何度でも合って話をしてみたいと感じる方がいる。その方もそのうちの一人。


対人のタッチは非常に柔らかく、温かみを感じるタイプ。

しかしその裏に、とてつもない情熱と折れない強い心を持っていることが伝わってくる。


引き締まった身体と日焼けした顔。十分にそれだけでもパワーを感じるのだが、接し方はソフト。

このギャップが魅力的なのである。





聞けば、最近はサハラマラソン(砂漠を1週間かけて250kmを走破)やトライアスロンの最もハードなアイアンマン種目も参加しているとのこと。


アドベンチャーレースとも類似 ~個人種目としたらもっと過酷かもしれない~ すると思われる『精神的にも肉体的も限界の中で一人で戦うという困難さやハードさ』をヒシヒシと感じる。


タフなスポーツをやっているからという表面的な話ではない。


組織における経営はチーム要素もあるが、経営責任者と言う意味では一人。トップは自分との戦いであることと、彼が参加している各種レースには、本質的に何かどこか通じると思うのだ。


それは、

『自分の弱さとの対峙・真っ向勝負』

『あきらめない心・折れない精神力』

『自身を信じられるブレない軸や想い』


ではないか。 仕事も同じ。

しんどい精神状態をくぐりぬけてきているからこそ、自然と現れる表情やオーラ。


彼からはそれを感じるのだ。






彼はよくこういう言う 「雪が降っても自分の責任」。

これは彼の体験に基づく言葉ではあるが、天候のように外部要因であっても、上手くいかない場合は自分の責任である -と。


不調の理由を他責にせず、自責として自分で解決して進むこと。


その強さを象徴するようなその言葉は、彼の軌跡を聞けば聞くほど心に染みいる。

現在の自分が不調というわけではないが、強い人の意見を目の当たりにすると、同時に自分自身の弱さも感じたり。



もっと強くなりたいと思うが、思ってなれるわけではない。

夢と目標と行動の掛け算だけが、自然と強くなる唯一の道なのかもしれない。


方・向・転・換
人生での初体験。


それはさまざまシーンで出くわす。

初めての海外旅行。初めて波に乗った時。初めてレースに参加した時。

思いだすと、どれもこれもワクワクしたのを思い出す。「挑戦」というと重いけど、新しいことに「手を出してみる」と考えると、少し楽になるかも。


初めて、学会に参加した。

6月中旬、授業始まりのタイミングで、研究課長に廊下に出ろと言われる。

「学会に入り、来年あたりに論文発表をしてこい」

将来のキャリアを相談していたことに対するアドバイスであった。他大学であったがその教授から紹介された元理事長を尋ね、現理事長に入会を申し込み、審査を通って正式な学会員になったのが7月。


そして今日、その学会の全国大会に参加した。




それにしても、学会の特性からか、ほぼ全員が完全に年上。多分平均年齢はゆうに50を越えるだろう。

午前中は、興味のある発表を聞きに教室を回り、空いた時間は修士論文の執筆と仕事。
午後のシンポジウムに出ると、先行研究で論文を拝読した教授たち数名の参加を確認できたため、キャンセルしようかと迷っていた懇親会にも参加。


それが、僕に、大どんでん返しを引き起こしたのだった。


僕はパーティや懇親会で、できるだけ多くの人と名刺交換をしようなどとは思わない。
多ければ多いほど話が薄くなり、単なる紙きれの交換に終わることを学んだから。


学会元理事長に挨拶し、修論の報告をする。すると、その方向性に詳しい別の教授を紹介して下さった。

そして現職と論文の話をすると、またさらに違う教授を紹介してくれる。そうこうしてるうちに、僕の研究テーマ上、読んだことのある著名な先生方と話し込んでいた。




話題は研究テーマだけではない。どのようにそのテーマに入っていったのか、またどのように教授になったのか、その教授の過去のお話も聞くことができた。

そして、先生によっては、どのように修士論文から博士論文を戦略的に書いてゆくかまで、事細かにアドバイスしてくれた方もいた。


そして、驚愕の事実が判明した - 今の構成では、全く将来戦えないことが。


単に現在の修士課程を修了する権利を得るのは、文字数上では十分、いや嫌がられるほどの量であろう。
しかし、それでは学術研究の世界では、全く網羅性が低くどうにもならないのだ。


やや愕然としつつも、自分の将来は自分でしか作れない。

ほぼ目次も固まり、文章量も7万字を越えたが、ここで一気に方向修正…というか網羅性拡大を決意。
しかし、方向性は見えても、具体的な網羅方法が見えない。

一体どうしたものか。。


まぁ未来のための方向修正を、今認識できたことはいいことだ。

少し落ち着いて、これから数ヶ月間の戦略を練ろうと思う。

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