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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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不意打ちを食らう
昨年立ち上げた勉強会も、2年次になり論文に忙しくなり始めてからは勉強自体は意図的に停止。

しかし、築き上げてきた仲間との絆を維持するために、修論の情報交換会や飲み会を継続的に開くことで、希薄になりがちな人間関係の維持をしてきている。


特に後期に入ると授業数が極端に減るため、仲間と顔を合わせること自体がなくなる。

そうなると、人間関係性は加速度的に脆くなる。


仲間の絆というものを集団凝集性という言葉に言い換えるなら、その集団凝集性を高める心理的要因は、接近性・閉合性・特殊な使命・同類性などがあげられるが、その条件を上手く使うことにより人間関係性を維持できるだろうと考えられる。

実際に、僕が30代前半で通っていたビジネススクールの戦友は、当時ガッツリとやりあったメンバーは10年以上たった今でも続いているのは、そのおかげだろうと思う。





先週末、その勉強会メンバーで、最近月に1回定例化しつつある息抜き飲み会があった。

成長意識と自己研鑽意欲の高いメンバーが集まっている勉強会とはいえ、論文のプレッシャーは高いらしく、ストレス発散を兼ねて毎回10名以上が参加 -それは同期の15%にあたる。しかも、今回は同期に加え、今年入学した後輩にあたるメンバーも特別参加した大宴会となった。


そんな大盛り上がりの中、突然の『バースデーソング』の大合唱。


またやられた。

昨年もそうやってサプライズされ、今年も再び。しかも、プレゼントまで…『勝負パンツ』。一体、どこで履くんだ?というGストリングスとブーメランの激しいヤツ。


なんて皆カッコいいんだ。自分の誕生日など1週間も前に過ぎており、とっくに忘れていた。こうして2年にわたり最高のたくさんの仲間にお祝いしてもらえるなんて、本当に幸せ。





年を重ねるたびに、皆が集まってパーティなんてのは激減する。それは普通かもしれない。また年齢を考えれば、子供じみていると感じる人もいるだろうし、お友達ごっこととる人もいるだろう。


しかし、誰かを祝ってあげたいという気持ちは、いくつになってもいいものだと思う。

今思うと、この勉強会のメンバーは知らない間に、皆お互いに、事あるごとに、何らかの形でお祝いしあう「文化」のようなものを築き上げてきたのだろう。自立と尊重、切磋琢磨と自己研鑽に基づく信頼関係、とでも表現できようか。




確かに僕はつるむのは好きではない。それは事実。

傷をなめ合う、感情論で愚痴や陰口を叩く、上っ面だけの八方美人、そういう群れ方にはヘドがでる。悪いとは思わないが、迎合したくはない。


しかし、本当に大切にしたいと思う人達は別。心を許し、信頼できる仲間はとことん真直ぐでいたい。そうすればするほど、本物の仲間に昇華するし、生涯の宝物になる。



今年もサプライズをありがとう。
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アクティブレスト
単調な日々が続く。

仕事⇔修士論文⇔運動 最近は主にこの3つが生活の中心になってしまっている。

まぁ仕事をしながら大学院に通い、しかも博士課程進学に足る超本格的な論文を執筆するとなると、仕方ないことである。

しかも自分で選んだ路であり、四十路以降をどれだけ魅力的に生きるかの最終土台でもある。不良中年を目指すなら、体力的にも知性的にもスマートでなければならない。





昨年4月の大学院進学からずっとサボってきたトレーニングを9月下旬から再会したが、実はそれ以前のアドベンチャーレースに参戦していた時より運動負荷が大きいことに最近気がついた。

現在はレースには出ていないものの、走る距離は変わらないし、山を走るトレイルランも同じくらい行うしスイムも始めた。スイムに関しては、以前は500mも泳げば後背筋や三角筋、上腕三頭筋にあっという間に乳酸がたまり、パンパンになって腕が上がらなくなる状態だった。


しかし、運動機会が激減してから1年半のブランクがあるにも関わらず、運動負荷が以前より高い…。実は、これと同様のことが数年前からのスパンで起きている。

アドベンチャーレースに本格的に参戦し始めたのは35歳。それまでは、運動といえばサーフィン程度。レースに参戦し始めてから、それまでになく -おそらく人生でも中学校の部活以来の― トレーニングを積み始めた。そして大学院の1年半を挟んで、それ以上のトレーニング。


加齢とともに運動量が減るのは自然だが、僕の場合は逆であることに、今さら気がついた。





とはいえ、生物学的に加齢とともに起こる体力の低下は否めない。そのギャップをいかにして埋めるか。

体力向上には、「栄養」「休養」「睡眠」がカギだとされている。


最近は、積極的に栄養管理とサプリメントでの補助を意識している。またトレーニングの負荷を上げると同時に、アクティブレスト(積極的休養)を取り入れている。筋肉の超回復を待ちつつ、トレーニング後に軽い運動をさらに加えることで、より効率的に身体を休めるものだという。


しかも、アクティブレストは勉強にも効くとのこと。勉強の間に軽く運動を入れることで、さらに勉強効率や効果を上げることらしい。


やらない手はない!と勇み立ち、先日1500m泳いだ翌日に再びプールで軽く泳いでみた。

逆効果で撃沈 (T-T)。


さらに疲れを増幅させただけであった。多少は身体が休まる若干のインターバルが必要だったらしい。トレーニングについてももっと研究が必須なようだ。

ともあれ、単純生活パターンでもメリハリをつけていきたいものである。
四十路を迎えて誓うこと
人生でも珍しく様々なことがアコーディオンのように折り重なって押し寄せてくるタイミングがある。

いいことでも、悪いことでも - そんな時試されるのがその人の「強さ」。


特にシンドイ時は、誰しも意識が「内面」に向きがちである。つまり自分自身に矢印が向く傾向にあり、外向き=自分以外の人に対する意識を回すことができない。いわゆる「いっぱいいっぱい」なカンジ。

人それぞれのキャパシティは異なるが、それは仕方ないだろう。


しかし、そうは言っても、僕の中に強くありたいもう一人の自分、それ以上に優しくありたい自分が存在する。




心における「強い」ことと「優しいこと」は同義ではないように思う。

僕が思う「強い」は、『どんな状態でも自分自身を信じ、揺らがずブレず、己の路を歩む意志のボルテージ』である。

しかし、それと「優しさ」は異なる。


「優しさ」とは、『自分自身の状況・心境に無関係に、他人を想いやる心』だと思う。つまり、本当の優しさには、時には「自己犠牲をも伴うもの」であるということ。

誰だって優しくしてあげたいと思うのは当然の気持ち。しかし、自分がいっぱいいっぱいの時に、誰かに優しくするのは困難である -誰かを助ける前に、自分を助けてくれ!とはなるのは、至極当然のこと。


それでも、僕はできる限り「優しさ」にこだわりたいと思う。




僕の好きな言葉に、作家レイモンドチャンドラーの小説の一節がある。

『男は強くなければならない。しかし優しくなければ生きている資格がない』

かれこれ20年以上も心から離れることがない、“生き方の理想そのもの”のような言葉。



誰しも辛い時がある。

しかし、自分がそのようなタイミングにあっても、大切にしたい人が困っているなら、自分の気持ちを殺してでも助けてあげたい、支えてあげたい、傍にいてあげたい。 そういう男でありたいと思う。


そのためには当然強くなければならない。自分が弱くして他人を助けることはできない。

ではどうしたら強くなれるのか - 僕の中の答えは「自己鍛錬」のみである。


常に勉学を重ねるのも、タフなトレーニングを積み身体を鍛えるのも、きっと「“強さ”の上にのみ成り立つ“優しさ”」を手に入れるためなのかもしれない。



自分の生き方にまっすぐ、そして我武者羅でありたいと誓う、四十路のスタートである。
ようやく一歩、先へ
ようやく GO AHEADが出た -それは1か月半以上にわたる停滞だった。


今年2月からゼミの自主勉強会を企画し、本ゼミが始まった4月。まだ同期の誰もがノホホンとしていたが、夏に入るとさすがにスイッチが入る。

運よく、この時期すでに僕は実証実験によるデータ取得を終えていた。しかし、まだ方向性も結論も明確ではないものの、先行研究をもとに手探りで想定目次に沿ってとにかくタイプを重ねた晩夏。


パーツごとに数万字を書いた … までは良かった。

しかし、その後、学会参加を機に状況が激変した。



単に卒業だけを見据えるなら、ぶっちゃけ2万字という数量と体裁が整えばいい。

しかし、博士課程への道や自身のプロフェッショナリズムを考慮すると、かなりの高品質化が求められる。しかも学会での査読論文の土台としたり、学会発表の機会を得ることを加味すると、その品質の壁はとてつもなく高い。

・自分の知的好奇心から書きたいこと
・正式な学位論文であること
・博士課程の土台であること
・学会で通用すること


それまでに書き溜めた論文のパーツを大観視すると、悲しいかなバラバラ感が満載。趣旨と実験データと訴求点と先行研究とのバランスが取れていないのだ。

感覚論ならいくらでも簡単に語れる。しかし、感覚論では単なる感想文や夏休みの自由研究と同じ。本格的な学術論文ゆえに、学術背景や先行研究から証明されなければならないし、新しい知見や貢献も含まれなければならないのに、お話になっていない感じ。


そこから、長~い長~いトンネルに突入した - そして論文を書き進めることを止めた。


構成を鳥の目虫の目で捉え、手書きでロジックを書き出しては教授と議論を重ねる日々が続いた。しかし、学術的な論理性がどうしても組み立てられないだけでなく、論旨と出口がブレる…。

僕が「これを言いたい!」と言うと、「それは証明できていないから断定できないだろ。感覚知ではダメだ」と反論され、あえなく撃沈。

そういうやりとりが何度も何度も何度も繰り返された。


一気通貫のスッキリとした論理構成で、かつ学術的にも裏付けとその領域での貢献が求められる… 教授がかなりレベルの高いものを求めているのも分かっているし、試すように敢えて寸止めアドバイスをするため、自分で考え抜かなければらない。30前半で通っていたビジネススクール時代の気分である。





悩みに悩みながら論理構成の考察のために書き出したロジックロードマップは十数枚にのぼる。

このロジックにGOが出ない限り、現在書き溜めた文章をいじっても無意味である。文章に手をつけた方が安心するのは確かである。が、そこに無駄な時間をかけても意味がない。ある種、仕事と同じかもしれない。


トンネル入りから1ヶ月半、やっと「OK、これでいってみろ」。


もんどりうっていた時期を“一時的に”抜けた。しかし、言うべきことが全て含有されたわけではない。

教授は「俺個人的には、もっと突っ込みたいところだけどな」とニヤリに笑い、同時に余力でさらに最後まで追及する姿勢をとるようハッパをかけてきた。どこまで一体ストレッチかけるんだろう…この人は。


全く甘くないが、プロである以上、甘くなくて当然である。だったらトコトンやるのみ。



次は9万字の論文をさらにロジカルに、かつ量的にもシェイプアップして学術論文として精度を高めてゆくか…また新たな戦いが始まる。

U R music in me
どんな場でも交わされる話、『音楽』。

血液型と音楽の話は、日本ではいたるところで通用するマジカルトピックスである。パーティでもまずこの会話からスタートするといっても過言でもないかもしれない。


音楽の好みは人それぞれだが、日常でどれほど聞いているかは意外と気になる。想像するに、多いのが通勤などでイヤホンで聞くケースだろう。まぁ最も手軽だから。


では家で聞く人は? あるインターネットの調査によると、あまり多くないとか。

僕は、逆に通勤では本を読むと決めているため、iPodは車の中。一方、オフィスでも、車の中でも、家の書斎でも、リビングでも、基本どこでもBGMが流れていないと気持ち悪い。ないのはバスとトイレくらいか(一時期は防水プレーヤーで流れていたが…)。

多分、「LISTEN」ではなく「HEAR」が好みなのかもしれない。





僕は音楽は詳しくない。そして、かなりオンチである。


ただ、いつからか欠かすことができないものではあることは確か。あまりにもCDを替えること、およびCDの物理的量にに耐えかねて、USENまで引いた程である。今や無駄とはわかっていても、24時間流れていないと変な気分。


そんな日常生活ではクラシックかジャズがメイン。

かといって、坊ちゃん育ちでもなく、気取っているわけでもない。単にBGMとして耳触りがよく邪魔にならなず、それに読書でも勉強でも会話でも集中もしやすい。ゆえに、生活において欠かせない環境要素である。


とはいえ、「聴くジャンル」はとても広い。邦楽はゼロだが、POPSもR&BもREGGAEもDANCEもTRANCEもROCKも。最も好きなのはBOSSA、

そして最近はなぜかHEAVY METAL ・・・ なんという両極端なチャンポン!!


HEAVY METALなんて、もう死語に近いはず(失礼)。でも中学生の時にまわりがオニャン子だアイドルだと騒いでいた時代、僕は悪友の影響でHEAVY METAL一色。そのせいか、今聞いても馴染むのだ。




そして何より、音楽は気分を上手に相乗効果を高めてくれる。

多分、今HEAVY METALを選ぶのは、仕事と論文の両立の多忙さを、アップテンポで力強いパワーでガリガリ向き合うためかもしれない。

約1年間という長丁場において、仕事をしながら通常授業に通い、同時に書籍や先行研究論文を読み漁り、修士という学位に恥じない論文を書くとなると片手間ではできない。


しかも時期的に追い込みに入る今日この頃は、眠いだの疲れただの言ってられない -それこそ、「勢い」なのである。そんなアンダーになりがちな気分を、攻撃的なHEAVY METALはぶっ飛ばし、ハイテンションに挙げてくれる。笑


なんだかサーフィンの行きの車の中のようだ。


そんな生活もあと2カ月。

スローボッサを聴きながら、ゆっくり仲間たちと談笑できる日を楽しみにしつつ、今夜も80年代のHEAVY METAL のスターたちが耳元で荒々しく叫び狂うのである…。

自分が自分であるための証
秋風が足元を過ぎる11月、いよいよ修論のデッドラインまで2カ月となった。

書きたいことは幅広くあるが、浅ければまったく意味がない。量があっても質が伴わなければ、僕の場合は博士課程進学において意味をなさない。


文章を書くのは得意な方ではあるが、想像以上に論文は手強い…。

超論理的な構成、先行研究からの証明、持論の展開と限界。本格的なレベルを求めるほどに、修論難民となる。

日々一進一退を繰り返している気分である。しかしいい論文はそれなりに悩まないとレベルは上がらない。卒業のための論文ではなく、将来のための論文なのだ。





週末に丸1日も格闘していると、脳みそが麻痺してくるため気分転換にトレーニング。


9月下旬から開始したラン&スイムも1カ月が経過したが、いつも同じメニューでは身体は強化されない。

11月入りを機に少し負荷を上げることにした。



スイムは100mを基準にしてインターバル15秒で1000m。いつも入れるハーフブレイクはなし。さらに今日はスイム直後にトランジット(着替え)をしてそのままランニング5500m。

いわゆるアクアスロンと呼ばれるスポーツ種目のトレーニングである。スイム25分 → トランジット9分 → ラン38分:計72分というスコア。タイムはどうでもいいが、今後のトライアスロンを考えたら完全に遅い(T.T)。まぁこれから縮めていけばいいか。


少し負荷をかけすぎたせいか、僧帽筋が張っているのを感じるが、超回復によってさらに締まった体になることを期待して。


タフなトレーニングを積めば積むほど、心も鍛えられる。





気分を変えるために身体を動かす。しかし目的はそれだけではない。


身体を維持し作ることは、自分との対話でもある。体をコントロールすることと、心をコントロールすることは同義 -ありたい自分であるために、自分の心を、体を、脳みそを理想の状態に維持する。

精神論を語るつもりはないが、一朝一夕にできるわけでもない。



生涯を通して、『すべての人に強く、そして優しくありたい』 - そう誓って刻んだ左肩のクロスと翼。

それは、自分が自分であるための証。そして自分から逃げないコミットメント。


自分を見失うことなく、日々鍛錬を積んでゆくのみである。

きっかけ
現在の大学院ではない、昔通っていたビジネススクールの仲間とコミュニケーションをとる機会があった。

彼も最年少で役員抜擢など、出世していた。それ機にフと、社会人人生をふりかえってみた。


僕はもともと独立を志していたわけではなかった。正直、独立の初動は熱き先輩経営者との出会いとお付き合いの中で、化学反応的にムクムクと湧き上った気持ちを行動化した結果にすぎない。


しかし、人生がそういう方向に傾き始めたキッカケは確実に、ある。


ビジネスの師匠との出会いである。

といっても、その人はビジネスを起こしていたわけではないし、ビジネスの楽しさを教えてくれたわけでもない。


その人は、「ビジネスの考え方を教えてくれた」人だった。





今から約10年前、プライベートのひょんなきっかけからビジネススクールに通い始めた。

通学当初は、発言回数だけはGOODでも、全く質が伴わず成績も芳しいわけではなかった。ゆえに必死に周りに付いていこうと努力だけは重ねた。それでも、講師からは「言ってることが分からない」とかバッサリやられてばかり。

でもそれが自虐的に心地よく、モチベーションの源泉になっていたのも事実だった -なぜなら、どん底から這い上がるしかないから。

それまで年間60日も海に入っていたサーフィンを我慢し、仲間と勉強会を開き、我ながら本当にビジネススクールの課題に没頭していた。



そんな中、マーケティング科目にて、最終的な評価を「B」で修了した。たかが、「B」である。

しかし、提出レポートに10日間で60時間かけて悩みぬいた出した結果、最後にもらった総合評価をWEB上で確認した時は、思わず「よっしゃ!!」とガッツポーズをとったことも鮮明に覚えている。


その瞬間からである、ビジネスに目覚めたのは。正確には、本質的に考える楽しさを知った、とでも表現できようか。





大手戦略コンサル屋に勤める少し照れ屋の数年年上の講師だった。片手をスーツのポケットに突っ込み、はにかみながらもトンチンカンな回答をする生徒たちを、心地いいほどにバッサバッサと切って行く。


その講師のおかげで、ビジネスの面白さや奥深さを知り、いつしか無意識にも彼のスタイルを自分でもとっていることに気がつく。今の僕のスタイルがあるのは、彼の影響といっても過言ではない。


そして最近、WEBの投稿記事で、彼の文章を目にした。

文字ではあったが、その当時と変わらない物言いや思考回路が想像され、なんだか嬉しくなった。



たかがビジネススクール。されど、出会う人によって人生が大きく変わることもある。


残されたあと数カ月の大学院生活、一人でも多くの仲間と刺激しあえるよう楽しみたい。
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