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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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涙の価値
先日授与式が終わり、公式に大学院生活が幕を下ろした。

その2日前に行われた卒業パーティの後、日曜夜にもかかわらず2次会・3次会と深夜まで飲み歩いたのに、平日の卒業式と授与式の後も、また飲みに繰り出したのだ。

式に参加したゼミ仲間数名で飲み始めたが、いつの間にか他のゼミに属する戦友達から続々と連絡が入り、途中から僕らのゼミで飲み直しに加わった。

週末のパーティとはまた異なり、公式行事としての卒業式の直後だったこともあって気持ちが高揚していたのか、いつも以上に…いや狂うほどに盛り上がる。気が付くと、いつの間にか大所帯での大騒ぎになっていた。



平日の仕事後→授与式後にも、かかわらず4時間以上も騒ぎに騒いだ。


終電間際。

飲み会に参加した仲間の多くが、目を赤くしていた - 泣いていた。
僕もそんな仲間の姿を見て、鼻の奥の方に鋭い痛みを感じたが上を向いた。

帰宅後にも、「寂しい…」「家に帰ると涙が…」とメールが届く。そして、その翌日も。


涙の意味。

それは大学院が終わるというの涙ではなく、仲間と会えなくなるのことへの感情的抵抗。
2年間、毎週のように顔を合わせ、頑張ってきた仲間との学生という「共通項」が消失することへの失望感。


涙の本当の意味。

その本当の意味は、「寂しくて泣いてしまうほど人間関係を育んできた証」 であると思う。



学生生活だけが人間関係のほぼ全てであった義務教育時代の別れではない。

職場・家庭・趣味…さまざまな人間観関係が存在する場所がある中で、その一つである大学院という限定的な世界において、仲間との別れに涙できるという「価値」。

それは、時間と想いを重ねて深い人間関係や信頼関係を構築してきた人だけに生まれる誇り高き感情。


自分だけの世界に閉じこもって仲間との接触を拒んだり。
自分の感情が優先で、人の気遣いや優しさを踏みにじったり。
自分の足元を見ず、人を裏切ったり陥れたり妬んだり。


そういう人には決して理解されることのない本当の意味。仲間を大切にしてきた人だけが手に入れることができる、友への想いが結実した「別れの涙」であり、涙の本当の意味であろう。そして、それは何よりも美しい。

人は人で結ばれる。仲間は自分の生き様の写し鏡。



大切な戦友へ - 2年間、勉学以上に充実し暖かく、心強い時間と想い出をありがとう。

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未完成な心
3月中旬からやっと重い腰を上げた ―大学院卒業パーティのVTR制作である。
やはり自分たちの追憶は、当事者ではない後輩には作れない。

これまで多くのVの制作経験があることから担当を引き受けたのが1月。写真データを集めてもらい吟味し、ストーリーを考えながら物語を映像でつづってゆく。

こういう創造活動は得意な方ではある。が、とにかくその大変さゆえ、逃げて先延ばしにしていたのだがそうもいかなくなり…。

写真データは全部で1300枚を超える。ゼミやその他活動のデータバランスが良ければまだいいが、あまりにも偏りがある。ゼミ写真がないところが6つもあると思えば1つのゼミだけで600枚を超えるところも。


それでも時間を確保し、データを厳選し約150枚を使い、2年間の想い出を一つ一つ綴る気持ちで15分の映像を60時間かけて作り上げたのだった。



パーティ当日は、雨の予報がなんとか肌寒い曇りに留まり、桜はご機嫌にフルスロットルな様子。

1月の修士論文提出後も飲み会やら打ち上げパーティやら卒業旅行と、身近なメンバーとの交流は続いたが、その多くは卒業パーティという場で久しぶりの再会(さらに卒業時に初めて見る同期もいた!)。

昨年の卒業式とは異なり、1.4倍の100名を超える全参加者が集合した。


後輩にあたる9期生の卒業パーティの仕切りも非常によく、いいテンポで盛り上がりを見せた。時間と労力をかけて作成したVも、笑いとシンミリの演出に一役買うことができ、安堵する。


そしてVTRの使用箇所の打ち合わせにも関わっていたことから、ただVの制作者としてだけでなく、最後に卒業式のほんの一部ではあるが後輩たちと作り上げた充実感は、今後の記憶に、そしてVTRという記録に残り続けるだろう。




でも、卒業パーティという最後の花道に参加できなかった人がいる。


共に笑い、共に悩み、共に苦しみ、共に支え合った、大切な人の姿がそこにない空虚感。

共に迷い、共に泣き、共に慰め、共に歩んできた、かけがえのない仲間の姿がそこにない脱力感。



一人いないだけで、華やぐはずの卒業式が、こんなにもモノトーンに映るのはなぜだろう。

いくつものカメラに笑顔を向け仲間と肩を寄せ合っても、こんなにも寂しい気持ちになるのはなぜだろう。



そして、今更ながら気が付くのだ。

― この2年間は、一人ひとりの欠かすことができない仲間の存在で構成されて初めて完成に至る揺るぎない記憶なのだ、と。

最期がどれだけ感動的でもどれだけ楽しくても、仲間が揃わない状態はきっと僕の心の中では無意味なのだ。それほど、この2年間で過ごしてきた仲間の存在は絶大だったのだ。

優秀論文賞も成績優秀賞もありがたいが、理論の裏側にある仲間という感情論の前には灰色の虚像でしかないと感じるのも事実である。



それでも、最後の卒業証書授与式が終われば、全てが終わり、そして新しいステージが始まる。
今後会えなくなるわけじゃないけど、弛まず歩み続けるしかないのだ。


HEAD UP Myself。
スイートルームと再会
いつも通り出張で前日入りした日、初春の神戸を走った。

今回は軽く10km、三宮~京コンピューター駅までの往復ルート。理由は過剰な体力を使わないようにするためだ。といっても大した距離ではないが。

もちろん役員焚火合宿でベストパフォーマンスを出すためでもあるが、就寝は深夜になり寝不足必須になるとは予めわかっているため、ちょいと抑え目のトレーニング。さらに、その週末は神戸から東京に戻った足で、そのまま群馬県水上まで運転の予定があったからである。

ゆえに帰路の新幹線では仕事を終えたら即、睡眠時間。うまく時間をやりくりしないとタフなスケジュールで遊べない。




急遽強行が決まった親孝行も兼ねた温泉旅行。ハイシーズン週末に、お付き合いのある老舗大型ホテルに2日前に宿泊予約を入れるという大胆でアクロバティックな行動であったが、なんとか一部屋だけ抑えることができた。


神戸から東京を抜けて、まだ寒い水上一を誇るホテルに着いたのは20時前。一般客はすでに夕食もお風呂も済まして一息ついている時間である。しかし、到着後に出迎えてくれた見慣れたスタッフがそしてこう言った。

「女将がお待ちしてます」

遅い時間にもかかわらず、わざわざとびきりの笑顔で出迎えてくれたのだった。そして案内してくれた先は…


ホテルで最高級の100平米以上ある豪華絢爛な『スイートルーム(貴賓室)』!

8年間の間、何十泊もしてきたがその部屋の存在を初めて知った。女将曰く特別な部屋らしい。確かに、旅館が多い温泉地のホテルで、都心のホテルのようなスイートがあるとは考えにくい。


女将の粋な計らいで、忙しい中の非日常の演出だった。




翌朝のチェックアウト。
支払いを済ませるとスーツの男性と着物姿の女性が走り寄ってきた。

「お久しぶりです!」


声に振り替えると、美人の若女将とその旦那さんだった。もちろん過去に何度もお会いしているが、やはり仕事上の付き合いがメインである。しかし今回はプライベートユースということにチェックアウトを見計らって飛んで来てくれたのだ。

しかも女将は僕の突然の来訪に数日前から興奮していた、という嬉しい言葉も二人から聞くことができた。


僕は、特別ルームのアサインのお礼を告げたのは言うまでもないが、それ以上に、こうした人間関係が絶えることなく続いていることに心から感謝した。

ハイシーズンには満室が続く老舗の大型ホテルにも関わらず、女将や若女将、そして相方や従業員のメンバーがこうしてきめ細やかな心温まる対応をしてくれる関係は稀であろう。


やはり人生は人間関係なんだなぁとつくづく感じる。大切にすれば、大切にされる。それは仕事上の顧客との関係性だけでなく、日常の中にヒッソリと、でも確実に存在するのだ。


出会いと信頼関係の構築 -それは人生の財産。 一つ一つを大切に育んでいきたいものである。
人生の無形財産
突然訪れたレース仲間の死。思い出すと今でもいたたまれない気持ちになるが、お通夜での彼女の両親の
言葉が心に残る。

「あの子は、私たちの想像を超えて本当にお友達に恵まれていたことを知った」 という一言。


翌日の告別式には、我々アドベンチャーレースの仲間だけでなく、他の趣味友達と思える様々な人が涙しながら彼女を見送った。その光景を見て、これが故人の生き様なんだと悟った。


以前、自社メンバーで自分自身の人生を描くプロジェクトにて、『死に様』から『生き様』を描いたことがあった。こんな風に命を全うしたい、という究極イメージから初めて、「どのように生きるか」が見えてくると考えたからだ。

そして生き様は、関わった人への記憶という形で現れる様な気がする。



学生割引の効力も残り1カ月を切った。

僕個人的には大学院の様々なメンバーと顔合わせることが多いが、個々に聞くと連絡すら激減している人が多いという。今まで大学院に取られていた時間を、今後は仕事に返還し忙しくしているからであろうことは容易に想像できる。

正直なところ、知識ゼロに近かったビジネススクール時代に得た経験や知識は別格であるが、大学院で学んだこと…正確には授業に出たことがリアルなビジネスで血肉になるとはあまり実感がない。理論は有効だが現実は理論で動いているわけではなく、蓄積した知識がビジネスで役立つことはイコールではない。

僕はそれを百も承知の上で、そして別の目的~経験の理論的裏付け~で大学院に進学したのだから別に何とも思わない。しかし想定外に手に入れたものは、「仲間」だった。

2年間という期間を共に過ごしてきたのだから当然だろうと思うかもしれない。仲良しクラブ程度の知り合いは確かにできる。しかし、その後も続く人間関係~仲間と呼ぶとするなら~は、相当の付き合いの結果でしか生まれない。それは集団凝集性理論からして明らかである。


そう考えると、多くなくとも大学院で培ってきた人間関係はとても濃密なものであり、生涯の財産といえると自負できそうだ。




何かの本で書かれていた一説が思い浮かぶ。

「仕事だけで生きてきた人は、退職と同時に付き合える人が激減する」

仕事にストイックであることが悪いとは全く思わないが、それだけの付き合いだと、それを保持するリンクピンを失ったた瞬間、個単体に逆戻りしてしまうということだろう。だから特に男性は『濡れ落ち葉』と揶揄されるのだ。笑


そんな一つの視点から人生を豊かにする要因を捉えてみると、やはり「仲間」の存在は大きいと言えそうだ。仕事仲間もそうだが、それ以上に趣味や学問を通じて深くつながった仲間の存在・・・。働き盛りのビジネスパーソンが犯してしまいがちな危ない傾向のようにも感じる。


そのためにも、社外仲間との本当の付き合いを増やし、より良い人間関係を良好に維持するにはメンテナンスが不可欠だ。仲間との出会いは「必然」である。それを無駄にしないためにも、細くとも定期的に友情を育んでいきたいと思う卒業前である。

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