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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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大解放!な週末
朝晩はまだ肌寒かったGWも過ぎ、梅雨に入りながらも心地よい皐月特有の空気感に包まれることが多い季節。

身体を動かすことと料理や食事にはベストシーズンである。

大学院の授業がない今年は、土日をフルに使って遊び倒すモードである。30代の半分ほどはビジネススクールで勉強をしていたこともあり、来年から博士課程が始まる(予定)までのひと時の解放感に浸っている。

学会論文の執筆は気になるが、週末のプランを立てることにワクワク感を感じるなんて久しぶりである。



ある週末は海。

海を泳ぐ「オープン・ウォーター・スイム」の練習や波乗り。暖かい日差しが、少し冷えた身体に気持ちいい。そして、そのまま光り輝く海を横目に海岸線をランすると、テンションアーップ!スイム後にも関わらず、いつもよりもピッチが上がり10㎞を45分くらいで走る(それでもあまり早くはないが…)。

さんざん身体を痛めつけた後は、いきつけのセミオープンカフェでメローな時間を過ごす。目線の先には海、薄暗い店内と静かに流れるボサノバ。暮れてゆく海を眺めながら時を過ごし、気ままにしゃべりながら時間をかけて食事。


なんという充実感!



ある週末は山。

野外道具を四駆に積み込み、大自然の中へ。サイトを決め、まずは居住区関連を整えてから、すぐにキッチン周りをセットして食事の準備。ここからがプライムタイム。

まずは5時間以上煮込むため、ダッチオーブン料理を仕込むのが第一。クラムチャウダー・ミネストローネ・チリコンカルネ・コーンスープ・ブイヤベースなどなどダッチ料理のレパートリーはずっと増えている。下ごしらえができたら、あとはダッチオーブンが勝手に調理してくれる。

パチパチとはじける音、そよぐ風、刻々と色彩を変える空。ひと段落したら酒を飲み炭火料理を緩やかに始める。できる限り家庭の台所を持ち込まない主義。食器もカトラリーもアウトドア用のものを使い、日常から切り離す。そして、新鮮な食材をシンプルにワイルドに頂くのが、心地よい時間を作り出す要素だ。


なんという開放感!




人生、たまにはこうした心を洗うような時間をタッープリとることも重要だと改めて感じる梅雨の晴れ間である。

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日曜早朝、教授の研究室へ
教授から査読論文のアドバイスをいただいたのはGW前。

連日快晴となった大型連休にも関わらず、論文の執筆に頭を悩ませ、そして連休明けになんとかラフ案の提出にまでは漕ぎつけた。


論文の提出1年以上前に、その教授からは「博士論文を意識して修士論文を書きなさい」と言われた。当時まだ修論自体がどんなものかもイメージが湧いていなかったため、実は全くといっていいほど、その本当の意味を理解できていなかった。


しかし、アドバイスを受けながら1年かけて多くの先行研究論文を参考にして修士論文を書き上げると、気が付くと知らずの内にある程度は「研究論文のお作法」にキッチリ乗った論文となっていた。

それは、「外見に似合わず、保守的な学術的論文」と揶揄されたことが裏付けといっていいだろう。


そしてやっと、その当時教授が助言してくれた意味を理解した。現在、その修士論文を基に学会誌用査読論文を執筆しているため、スクラッチからではないことだけは救いである。





ラフ案とはいえ、修論で書いたようなトーンで書き上げた、つもりだった。しかし、数か月ぶりに訪れる大学院の教授部屋で待っていてくれた教授の顔は優しくも曇りがち。

それは、学会誌に耐えうるレベルからかけ離れているからだと理解した。それは同時に、どれだけ修士論文というものが甘かったかを痛切に感じた瞬間でもあった。


多少言葉は選びつつも指摘する箇所すべて理に適っていて、目の前に訂正箇所の山が積み重ねられてゆく。なかなかドエムな感覚と無力さに、ひきつる自分。

1時間以上に及ぶ修正箇所の指摘や構成のやり直し。アドバイスを録音していなかったら修正のしようがないほど… 「本物の論文」を書くことがどれだけ難しいことか!





たかが2万字…されど2万字。

修正個所の多さに少し絶望感を感じて凹みつつ、卒業時に「これからが本番だ」と叱咤激励してくれた恩師の言葉を思い出す。


本来であればお休みの日曜日に、朝早くから個人的に論文対策会議を開いてくれた教授には心から感謝したい。。
もちろん事前に稚拙な論文に目を通していただいていることにも。あらためて、一人で戦っているのではないことを実感する。



これからずっと、おそらく3‐4年くらいはこうした日々が続くのかもしれない。

しかし、こうした痛みの分だけ、自分の限界を押し上げるのも事実である。痛みを伴わない成長はない。トレーニングも一緒。最初は500mを30分かかってゼイゼイしてたけど、今は1500mを30分で泳ぎ、その直後に10㎞走ったりできる。しんどい時こそ、成長のバネをグググッと溜めていて、ある時どーーん!!と楽になるものだ。


痛みを肯定すること、それが成長の要である。スポーツのトレーニングなどでは良くわかっているつもりなのだが…。こうした鍛錬になると弱い…が、泣き言を漏らすくらいなら、手を動かせ!


と、自分に言い聞かせて、今夜も論文と戦うのだ。

先輩からの一言
大学時代のゼミは、学部で厳しさトップ3に入る国際経済関連のゼミに所属していた。

国際経済学科というと聞こえが良く、カッコいい(かもしれない)。しかし僕の大学時代は海外を放浪することを目的としていたので、僕だけ国際放浪学科といってもいいだろう。


もちろんトップ3とされるだけに教授は名が通っており、「人生は、夢とロマン、愛と勇気」が口癖だった。他の代の先輩に聞くと微妙に異なることを後に知ったが。


教授は数年前に他界されたが、教授を慕って歴代のゼミ生があつまる会合が行われ続けている。大先輩は1962年度卒業生…僕が生まれる10年前に卒業した方から、今は後任の元ゼミ生であった教授が担当するゼミ生までが集まるのだ。また経営者になった人が多いこともゼミの特徴である。



数年前から、その会合で知り合った15歳年上の先輩がいる。その人も経営者。大学院に進もうか迷った時も、よく相談に乗ってもらった事を鮮明に記憶している。


それ以来、年間に数回、近況報告を兼ねて会食するのが恒例になっていた。

地下の大人の隠れ家的なレストランで先輩の企業の幹部メンバーも含めてワインを楽しむ(というほど飲めないが)。昨年7月にお会いした以来ゆえ、その後の大学院の話や論文、四十路のタイミングでの転身について近年の紆余曲折を伝えた。


同年代とはまた異なった達観した視点。落ち着きのある口調と言葉の重み。どこか安心感を感じられる心の距離感。15歳の歳の差もあるからか、とても親身に可愛がってくれつつ、叱咤激励をしてくれる兄貴的な存在。


人生で初の新しい環境を楽しみとストレスを抱える僕に、翌日メールが届いた。




忙しい中にも関わらず、坂村真民の詩を記してくれた。

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『時間をかけて』(坂村真民)
 あせるな
 いそぐな
 ぐらぐらするな
 馬鹿にされようと
 笑われようと
 自分の道を
 まっすぐゆこう
 時間をかけて
 みがいてゆこう
------------------------------------

突き刺さる一言一言。

誰しも迷うことがあろう。誰しも誰かの目が気になることがあろう。
結果が出ないことを焦るだろうし、自信がなくなることもあるだろう。

でも
自分が選んだ道を自分で歩み続けること程、素晴らしいことはない。

自分を信じて一歩一歩がんばりなさい、そう先輩が伝えたかったのだろう。
僕から発せられる言葉や態度から、きっと最もふさわしい詩を選んでくれたのだと思う。


僕はたくさんの仲間に恵まれているが、その先輩も大切な一人。
そんな風に支えられているんだなぁと感じることができることに、心から感謝したい。



僕もそんな風に誰かを見守り、支えることができる人になりたいものだ。

どこを見て動くのか?
GWの谷間。急な出来事から一部の予定が空いてしまう。

ストレスフルな日々の大型連休だからこそ、有効に使いたい ーそう思っていた矢先のことだった。

とはいえどうにもならないことは、どうにもならない。制約条件の中で納得のいく過ごし方をするべきだろう。とはいえ、どこへ行っても混むし割高なGW。とはいえ消去法で「何もしない」という選択肢は納得がいかない。


そんな時、フと「有効に時間を使う」って自分にとってどんな意味なのか考えてみた。



休みをボーっと過ごしたという方がいるが、実は僕にはイメージができない(その過ごし方を否定しているわけではない)。具体的にどうしていることが「ボーっと」なのかが分からないのだ。また、「何もしなかった」という表現も良くわからない。寝ていたのか、テレビでも見ていたのか。もしくは特に言うほどのことではない程度のことしかしていない、という意なのか。

そして、そういった行為を意図的にやっているのか、無意識なのか。そこも実は是非詳しく聞きたいことでもある。


時間の有効活用。一般論的な解釈ではなく、自分自身の中の意味から考えるに、“有効とは、目的や目標に向かうために時間を活かしている”ことなのだと思う。

「今日はとにかく体を休める」という意図をもって、「敢えて」寝ていたり部屋から一歩も出ずにボーっとしていた、なら理解できる。つまり、『行為・行動のための目的(理由)、もしくは意図があれば、僕は納得できるのだ』と気付いた。



それは休みの日だけではない。仕事も遊びも趣味も、何か目的がないと行動の意味を見いだせないのだ。いちいち行動に理由がないとイヤな性格は、合理的なのか屁理屈なのか…。まったくメンドクサイ性格である。

一方で、何かを手に入れるためには、欠かすことができない考え方だとも思う。目的や理由があるから、行動に移せる。継続できる。ゆえに、達成もできる(かもしれない)。


とはいえ、考えてみれば当然の理。好きなこと以外、目的なくして努力に値する行為など継続できるわけがない。

その観点からとらえると、中長期的目的と、短期的目的に大別される。後者は分かりやすいし具体的行動に移しやすい。しかし前者は不確定要素が大きすぎるし、実行動がダイレクトにそれに影響を及ぼすかはわからない。

それゆえ、人間は目の前のことに走りがちなのかもしれない。


遠くを見ながら、今を生きること。とても難しいことかもしれないけど、それができると、人生を十分に楽しめるのだろう。


さて予定が狂ったGW後半戦。どう過ごそうか。。
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