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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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疾風のように?
以前どっぷりハマっていたアドベンチャーレースも、修士課程進学と共にオアヅケ。

完全に2年間もチームの活動が止まると、ただでさえややこしいレースだけにメンバーは自然と飲み仲間と化す。またそれぞれマラソンやフットサルなどもともとの趣味を復活させ、わずかな参戦への想いの燻りを残して、事実上自然消滅。やはり近場ですぐできるスポーツに流れるのは仕方のないことだろう。

修士を終了するころには四十路を迎えた。そして、四十路を迎えたら挑戦したいことが、心の奥底に静かに転がっていた。

トライアスロン。

独立したての頃に出会った青山フラワーマーケットの井上社長の言葉を思い出す。当時はふ~ん、そんなものかな…でもカッコイイ中年オヤジだなぁ 程度の感想だったが、実際、経営者の多くはトライアスロンに興じているのも事実である。

「40過ぎたらトライアスロンって思ってて、実際に始めたら、本当にトライアスロン中心の生活になった」



ちょうどアドベンチャーレースも気持ち的に一区切りしたし、始めるなら井上さんのように今でしょ?ということで取り組み始めたトライアスロン。でも抵抗がないでもなかった。

アドベンチャーレースは、チェックポイントを通過すれば、どんなルートを通っても構わない。MTB・山岳ナビゲーション・カヤック・トレイルランニング・藪こぎなどが1レースで求められるマルチスポーツに加え、最低でも1日5時ほどの競技時間。しかも1チーム3人が全行程を共にするという超究極・超特殊な変態ドエムスポーツである。

それに比べてトライアスロンは3種目、ソロ、オリンピックディスタンスで51.5km、ルートも指定、時間にして3時間前後。アイアンマンレースで13-15時間。ただそれはひたすら自分との戦いだけで、罰ゲームのような心理かもしれない。迫りくるリスクと面白さ+ワクワク感を比較したら、残念ながらアドベンチャーレースには到底及ばない(今でもそう思う)。


でも、始めた。 理由は、なんとなく「手軽」だから。そして井上さんのカッコいい姿 - ただそれだけ。

(そもそも、トライアスロンって「手軽」なスポーツか?と仲間には嘲笑されるが。)




実際、83歳でアイアンマン、いわゆる鉄人レースで、80歳代の部で世界1位になったスゴイ日本人がいる。実は、ゴルフと同じく?息の長いスポーツなのだ。

いざ始めると、トレーニングはアドベンチャーレースよりヤリガイがある。ラン・スイム・バイクともに、家の周りで事足りる。いちいち山の中で練習しなくてもできるのがいい。またレベルアップしていくのが分かるのも、モチベーションの維持につながる。

昨年は自分試しで様子見し、今年は仲間も増えたし、ちょっとだけ本格的に人生をかけて取り組もう、という固い絆も生まれた。ソロ競技だけど、チームみたいな。そんな気持ちを言い訳に、勢いつけてバイクを新調。


トライアスロンのバイクはいわゆるドロップハンドルのロードレーサーとはジオメトリが微妙に違う。ロードレーサーで出場する人も多いけど、僕はロードを楽しむ趣味はないので、専用のタイムトライアルバイク(TTバイク)を選択。フルカーボンの超軽量バイクは、昨年まで使用していたクロモリとは全く別次元の乗り味、まさに疾風”風”。新しい世界を覗けるマシン。


ギアにこだわれるのもまた一興。四十路を越えても、楽しみながら体脂肪13%の細マッチョな身体を維持できることを考えると、手放すことはできないスポーツであることは間違いない。


すでにサーフィンは生涯続けるであろう「ライフスポーツ」になっているが、果たしてトライアスロンはいかに。


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三足の草鞋

可愛がってもらっている大学教授の56歳の誕生日の時、笑顔でこんなことを言った。

「歳食うにしたがって、毎年忙しくなる…。なんでだよ」


まるで超多忙な日々を楽しんでいるかのように。プライベートはよくは知らないが、仕事が8割の生活であるのは聞いていてわかる。そして確かに彼のスケジュールは多忙を極めている。身体を壊さないかだけは心配ではあるが、同時に羨ましくも思う。

55を超え、一般的には徐々に定年に向けて、人生という流れるスピードがスローダウンし始める年齢にも関わらず、加速的に忙しいという現実は、ある意味素敵なことだろう。



今、僕は3足の草鞋を履いている。自分の会社、教授の会社の支援、そして大学院ドクター生。

時間の多くは生まれて間もない会社の支援に使われているものの、絶対的に割かなければならない時間的使命を、残りのどちらも持っている。

教授の起業したての会社の立ち上げは、それはそれは大変である。と同時に、ものすごくやりがいがある。F1マシンのハンドルのように、ちょっとしたハンドリングがリニアな影響力を発するからである。このヒヤヒヤ感というか、ヒリヒリ感が起業家魂をくすぐるのも事実である。

一方、自分の会社は、顧客に迷惑をかけなければある程度どうにでもなるが、博士課程は、最大6年間、院には所属できるため、自分との闘いだけにもっとどうにでもなる。

が、自分にとってドクターの研究はどうしても労力は必要なのだ。理由は至ってシンプル。趣味で勉強いているわけではなく、自分の最終キャリアに「ド直結」するからである。




おそらくその教授と同様に、僕の人生の中でも、今のところ加速的多忙性の中にいると思われる。

困ったことに、上記3つの使命に加え、優先順位は下がるものの身体の健康の維持も重要な課題である。40を過ぎると、当然のように加齢による体力減衰が起こる。その必然の運命に、いかに抗うか。

僕の場合はトライアスロンとサーフィンをその対抗手段として備えているつもりではあるが、そのための時間もとらねばなるまい。1週間のうちのたった3-4時間かもしれないが。全生物に共通の24時間の中で、どう時間をとるか。


誰かが言っていた ー「行動に移さなければ、何も結果は生まれない」。 

その通り。自分の人生に必要なことのための時間は、自らの意志と努力で確保しなければならない。ただそれだけのこと。言うは易し…ではあるが、本当の夢の実現は、そこから始まるものだと思う。


また、明日へ。
動的安定、という生き方
相変わらずめぐるましい日々。

そもそもボケっと過ごすことができない自分の性格上、忙しい生活は心理的安定感を与えてくれる。

自分にとっては、行動していることが自分自身の安定感の維持につながるのだ。何もしないと -例えば南の島で数週間- なんてのは、かなりキツイ。

動いてこその充実、動いてこその価値。

加えて、それら行動に「意味」がないと動けない。何をするにしても、行動の意味するところ、つまり目的がなければ行動できない合目的的な、いちいちメンドクサイ性格であることを自覚している。




仕事も無駄なことはしたくない。
例えば、社内で誰かと仕事がかぶるとか、もう意味がわからない。責任の範囲を明確にし、その範疇は何があろうと死守する。合意がなければ他人にやらせないし、他人の分はやらない。非協力的なのではなく、役割責任を果たすことが使命だと思うから。

生活も同じ。
ただなんとなく○○をする、という行動ができないのだ。例えば、なんとなくテレビを見ているとか、絶対にあり得ない。自分の中の視聴の意図(ドラマであろうとニュースであろうと)がないと見ない。

電車の中でも、音楽を聴くとか、携帯をいじるとか、自分にとって意味のないことはしない。いま必要だと感じる本を読むか、大学院の研究論文を読んでいるかである。トライアスロンのトレーニングも、レースの好成績というささやかな狙いもあるが、基本的には体型維持と負けず嫌いという名の戦闘能力の維持。

勉強も同じ。
30代前半、マネジメントスクールに通っていた頃は、それまで年間60日波乗りしていたのを、1年に2回程度に減らして勉強した。大学院修士課程も、現在の博士課程も、研究に割く時間は欠かせないが、24時間のどこかの時間を研究に充てなければならない。

すべては目的いかん、なのだ。




仲間はそんな自分をストイックだという。でも、実は、その意味するところがよくわからない。

必要だからやる。必要でないことはやらない。
必要なことだと思うから、優先順位の低いことを我慢し、どんな状況でもその「必要なこと」を実行する - ただそれだけ。
好きとか嫌いじゃない。やるか、やらないか。その二択にすぎないのだ。

当然、その分の犠牲は生じるが、目的のためにはしょうがないこと。


どこかの50過ぎの人が言っていた ーもっとだらしなくていいんじゃない? 
苦笑いで過ごしたが、心の中ではつぶやいていた… だらしないから今の貴方なんでしょう?と。


人生は短い。やりたいことはてんこ盛り。なら、やるしかないのだ。

そうやって、今を生きる。
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