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何の縁か、あるタイミングで仲間の帰国報告が相次ぐ。
もともと国際経済の関係のゼミだったからか、15名ほどいたゼミ員の1/3が海外で働いている。多くはアジア圏内だが、2014年になって5-6年ぶりに家族で帰国というメールが相次いだ。
そして別の仲間は北陸から戻ってきたり、昨年海外から帰ってきて家を建てたという者まで様々な近況報告が舞い込んだ。
どうなったら始まるのが、四十路を過ぎると、なぜかワクワク度がアップする「THE★同窓会」である。
◆
20代30代は、一般的には仲間の結婚式等でボチボチ顔を合わすものの、40代に入るとそれもほとんどなくなり、多少の時間的距離が生まれる。その頃には、大学当時では想像だにしなかった予測不能の「大人の自分たち」が露わになる。
今回は、5年ぶりの再会となる。
同窓会といえば、どこか「ヤケボックイに火」のような少し甘酸っぱい魅惑的な妄想も浮かぶ。同窓会で再開して…(ハート)なんてよくある話ではないか!
しかし、残念ながら、余程の都合がない限り「子供連れ」が基本。よって、参加した親の数の倍ほどの子供がうじゃうじゃ。2-3歳から小学校6年生までバランバランのキッズが集まり、レストランには超ファミリー感満載なメイワクな団体様と化したのだった。
◆
5年ぶりに会う仲間。前回あってない人とは、おそらく10年ぶりとかかもしれない。が、基本的にあの頃と変わっていない。体型の変化は人それぞれであるが、大人ってそう大きくは変わらないものであることを実感。
しかし、それ以上に、変っていないことへの安心感があるのも事実である。
その安心感ってなんだろう?
会う頻度は減っても、自分自身がこういうメンバーと仲間なのだ、という帰属意識による安心感なのだと思う。あまりにも大きく変わりすぎると、そこに自分の存在理由というか存在の痕跡を見出すことができず、どこか落ち着かない気分になる。でもあまり変わっていないことに、「あの頃の僕たち」のようなゆるい見えない絆のようなものが横たわっているのかもしれない。
仕事で出会った人とは、余程親密な間柄でない限り、長続きしないと言われる。会社を定年で退職して数カ月もすると誰からも連絡がなくなる、なんていう虚無感を感じざるを得ないのは、まさにそれを証明している事実。
とするならば、ビジネスという関係を超えて、願わくば死ぬまで何か一緒に時間を過ごせる共通点をもっている ~それが大学のゼミという「場」であっても、「趣味」であっても~ ことって大切なのだろう。
平均寿命が延びている日本において、40台といえば、人生の正午である。まだ正午だとしても、出会う可能性、しかもそれが生涯長く続く可能性のある出会いは、人生の前半戦に比べれば低減するだろう。
今度どのように生きていくべきか、ゼミで出会って20年目を迎える仲間を前に、少し考える。
もともと国際経済の関係のゼミだったからか、15名ほどいたゼミ員の1/3が海外で働いている。多くはアジア圏内だが、2014年になって5-6年ぶりに家族で帰国というメールが相次いだ。
そして別の仲間は北陸から戻ってきたり、昨年海外から帰ってきて家を建てたという者まで様々な近況報告が舞い込んだ。
どうなったら始まるのが、四十路を過ぎると、なぜかワクワク度がアップする「THE★同窓会」である。
◆
20代30代は、一般的には仲間の結婚式等でボチボチ顔を合わすものの、40代に入るとそれもほとんどなくなり、多少の時間的距離が生まれる。その頃には、大学当時では想像だにしなかった予測不能の「大人の自分たち」が露わになる。
今回は、5年ぶりの再会となる。
同窓会といえば、どこか「ヤケボックイに火」のような少し甘酸っぱい魅惑的な妄想も浮かぶ。同窓会で再開して…(ハート)なんてよくある話ではないか!
しかし、残念ながら、余程の都合がない限り「子供連れ」が基本。よって、参加した親の数の倍ほどの子供がうじゃうじゃ。2-3歳から小学校6年生までバランバランのキッズが集まり、レストランには超ファミリー感満載なメイワクな団体様と化したのだった。
◆
5年ぶりに会う仲間。前回あってない人とは、おそらく10年ぶりとかかもしれない。が、基本的にあの頃と変わっていない。体型の変化は人それぞれであるが、大人ってそう大きくは変わらないものであることを実感。
しかし、それ以上に、変っていないことへの安心感があるのも事実である。
その安心感ってなんだろう?
会う頻度は減っても、自分自身がこういうメンバーと仲間なのだ、という帰属意識による安心感なのだと思う。あまりにも大きく変わりすぎると、そこに自分の存在理由というか存在の痕跡を見出すことができず、どこか落ち着かない気分になる。でもあまり変わっていないことに、「あの頃の僕たち」のようなゆるい見えない絆のようなものが横たわっているのかもしれない。
仕事で出会った人とは、余程親密な間柄でない限り、長続きしないと言われる。会社を定年で退職して数カ月もすると誰からも連絡がなくなる、なんていう虚無感を感じざるを得ないのは、まさにそれを証明している事実。
とするならば、ビジネスという関係を超えて、願わくば死ぬまで何か一緒に時間を過ごせる共通点をもっている ~それが大学のゼミという「場」であっても、「趣味」であっても~ ことって大切なのだろう。
平均寿命が延びている日本において、40台といえば、人生の正午である。まだ正午だとしても、出会う可能性、しかもそれが生涯長く続く可能性のある出会いは、人生の前半戦に比べれば低減するだろう。
今度どのように生きていくべきか、ゼミで出会って20年目を迎える仲間を前に、少し考える。
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