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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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戦友が意味するもの
友達という人間関係を表す言葉はいろいろあるように思う。

他人から始まり、知人 → 友達 → 仲間 → 戦友 → 親友 というように。

すべて感覚知であり、その境目は曖昧だけれども、少なくとも僕の中では使い分けている。

分けているから態度を変える、というような器用なことは出来ないし、する必要もないが、意識・無意識にかかわらず、心を許す・信用するという感情論では明確に違う。


学生から社会に出ると、会社内では上下関係があるためになかなかこういう概念を考えることは多くはないが、会社外での集合体で活動していると、ヒシヒシとそれを感じることがある。




その人間関係性はある種生き物に近い。感情論や事件によって『友達レベル』は、必ずしも固定的ではない。

ただその中でも『戦友』という位置づけの人間関係は面白い。読んで字の如く、『戦った友』 -言い方を変えれば、共に苦楽を乗り越えた仲間以上の関係性とでも言おうか。


これは「時間の経過とともに色褪せないこと」が興味深いのだ。

実際、ビジネススクールに通っていた頃の戦友とFACEBOOKで多数再会した。2000年前半のタフな授業を乗り切ったメンバーゆえに、一瞬にして関係性が戻るのだ。


もちろん、全員ではない。しかし、たかが3カ月間合計6回しか顔を合わせていないメンバーが、こうして10年の時を経てもなお「戦友」として再会できる。まさに戦い=学びの過程を共有していたからに他ならないだろう。


お互い切磋琢磨し合い、議論し、助け合い学びあった「本物の仲間」が“戦友”という言葉にふさわしい。





その一方で、同じ時間を長い時間過ごしても、友達どころか「他人・知人」レベルという人も多くいる。実際、大学院の卒業生からは、70名前後の同期がいても、卒業後会うのはゼミの数人という現実話を聞く。

別にそれが悪いことだとは思わないし、全員と仲良くなる・理解してもらえる、なんてこと自体が虚像。大切なのは、どれだけ真摯にかつ楽しく相手と向き合えたかである。ゆえに100人の上辺だけの知人より、10人の仲間・戦友のずっといい。



先日再会した14年前の会社立ち上げ参画時の戦友、4月に各地から集まるグロービスの戦友、そして大学院の仲間。

こうした多くの仲間や戦友に恵まれるのは、自分の態度一つ :鏡の法則である。



それを肝に命じた上で、本物の仲間・戦友・親友という間柄を醸成してゆくことが、人生に豊かさをもたらすものだと思う。

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