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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
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アイアンマンに「日付」を入れた。
「50歳までにやり遂げる」と決めたことに日付を「ポチ」した。

2018年11月18日、自分の誕生日にアイアンマンレースに挑む。

距離は世間的な一般認知でいう「ザ☆鉄人レース」のアレである。すなわち、トライアスロンの距離別でもスイム:3.8km→バイク:180km→ラン:42.195km、合計約223kmという最長距離の大会にエントリーしたのだった。

戦いの舞台は、カリブ海に浮かぶ コズメル島(メキシコ)。

スイムは今や調子が良ければ4km以上プールで泳ぐから問題なく、バイクも琵琶湖一周160kmも走破しているから距離感も体力感も大丈夫。しかし、2種目183.8kmを終えた後のフルマラソンだけは、全くイメージがつかない。そもそもフルには、伴走で1回しか出たことがないし。

たまたま誕生日がレース当日だったことから、勢いでエントリーしたが、実は不安しかない (T-T)


人生の夢は?

夢見ることは悪いことではない。しかし、人生時間の正午を超えてからは、「夢」というただフワフワ漠然とした絵空事ではなく、「目標」つまり「やり遂げたいこと」という具体性と実現性に重点を置かれたモノに切り替わる気がする。誰かが、こんな言葉を残している。

『夢は「みるもの」ではない。「挑む」ものである』

とすると、四十路を超えてからの「人生の目標」とは、手に入れようと行動する少し先にあるモノということになる。そして、「手に入れよう行動する」とは、努力とも表現できる。すなわち、人生の目標とそれに対する努力はニコイチである。

どのような目標であれ、それを成し遂げる努力行動は、人間の活力的魅力の総量と同義だと僕は思う。

何の目標も持たず努力せずに、日々ダラダラ何となく生きている人々を否定する気はない。ただし、
その生き方に共感は1mmもしないし、僕にとって、そういう人との付き合いはハッキリ言って人生の無駄であることだけは確かである。


39歳の時に決めた ー MBAを修了と当時に40でトライアスロンを始める、45までにミドル ディスタンス:113km(=スイム:1.9km→バイク:90km→ラン21.1km)を完走する、50までにロング制覇すると。それ以降は、サーフィンと共にゆる〜くトライアスロンを楽しもうと。

今年ミドル完走達成と共に、経営者仲間に誘われて、経営者のみで結成されるトライアスロンチームに入った。それぞれ企業経営で忙しいのに、嬉々として3種目をトレーニングし、年数回にわたり変態レースに出場する彼らに刺激を受ける。

そのチームの中で度々連呼され、かつ心地いいフレーズがある。

「人間には2種類しかいない。アイアンマンとそうでない人だ」

この言葉は言い得て妙で、かつ示唆に富んでいる。僕はトライアスロンがすごいとか偉いとか、そういう話ではないと捉えている。アイアンマン ディスタンスを時間制限内にやりきるのは、それなりのトレーニングしないと完走は不可能であるのは誰もがわかる。そして何より、己の怠惰な心に争い練習を積むという行動は、意識的に時間を割いて「努力をする」ということ。

つまり、この言葉の僕の解釈は、「自ら目標を掲げ努力できる人」とそうでない人、である。

常に何か目標を持って夢に挑む、手に入れるために努力を重ねる。それが、動物にはできない人間の本来的な魅力であると思う。

エントリーが完了した今、来年11月に向けて着実に練習を重ねるのみなのだ。
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