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焚火で組織を変える社長の日記

〜 代表取締役・焚火研究家・大学院生・父親・トライアスリート、そしてサーファーとして。
謎の衝動的読書欲
何かの記事で書いてあった。
昨今の学生をはじめ、ビジネスパーソンも本を読まなくなってきていると。

今では新聞もスマホで読めるし、雑誌もオンライン化をしているし、動画を代表するテレビも映像の見るデバイスは拡大する一方である。なんでもかんでもITデバイスで手に入れることができる。


こうしたライフスタイルの多様化は悪いことだとは全く思わない。

僕自身がそれにキャッチアップしているかというと、それは別問題で、昔と相変わらずテレビは月に5時間も見ないし、漫画も読まない、ゲームもしない、そして、リアルな紙による読書は嫌いではない。



MBA時代までは、結構貪欲に本を読み漁っていた。(今思うと、恥ずかしながらどこかのインチキくさい人が経験だけで書きました系のビジネス書が多かったが。涙)

大学院博士後期過程という学生になってからは、本よりも論文を読むことが圧倒的に増えた。しかもそのほとんどが海外論文。古くは1940年代から現代までのジャーナルが多くなっている。


しかし、ここにきて自分に異変が起きている。なぜか、無性に「本」が読みたいのだ。

もちろん論文は読まざるをえないのは変わらないが、ジャンルは経営組織領域で、最先端の学者やら教授らがビジネスパーソン向けに書いた理論系に偏っているのが最近の特徴であり「異変」である。つまり理論と実践の融合体として、一部は学術的にゴリゴリに堅苦しく、一部は実際のビジネス事例と連動させているようなヘビーな書籍である。

そして、実際に、それらのほとんどがそんなにハード(硬く)じゃなくてもいいよ的なハードカバー本、かつ1冊3〜400ページを優に超えて持ち歩くにはリアルにハードで、ついでに1冊3000円前後するという財布にもハード。



その異変の発端は、何なのか。それは、だいたい想像がついている。

職業柄、社長以外の方とビジネスすることはあまりないのだが、その中でもダントツ、繰り返すがダントツに猛勉強するのが趣味(?)の社長の影響だと思う。

社長が勉強しないという意味ではない。その彼は自分の知識と経験を比類なきスピードで身につけ事業に生かし続ける、類い稀な逸材。彼と打ち合わせした後で、気になったワードから本を探して読むと、これまた興味を惹かれる内容なのだ。

(まぁ触発されてるだけの話だが。)


今までにこういう読み方はしたことがない。それも、食後の静かな時間に、コーヒーを片手に、学術系ビジネス書を読み、大学院の研究と自社の理論背景の強化&ブラッシュアップを創造する。


なんでこんな風にしか時間を過ごせないのだろうか?と自問自答すらすることがある。平日の夜くらいダラダラと過ごせばいいではないか、と。飲んで酔っ払ってコロっと寝られたら最高だろう?と。

でも、できない。損な性格だ。まぁ、それでも楽しいからいいとするか。
興奮と緊張の中の冷静
僕の2016年度トライアスロン初戦は、横浜で開催される国際大会。

ワールドチャンピオンシップの最終決戦の地、ハワイのコナ大会への出場スロットをかけたポイントを付与される代表的な大会。もちろんその対象者はエリートと呼ばれるプロ集団の話だが、エイジというアマチュアの猛者アスリートも日本中から集まる、レベルの高いガチ大会である。

第1日目AMは、エリート女子のレース。大会レジストレーションのために横浜に向かう前まで、生中継の放送を自宅で眺めていた。トライアスロンは好きだが、特に応援する選手がいるわけでもなく、そもそも代表的選手名すらあまり知らない。しかし、雑誌でよく目にする気になる選手は、スイム終了時点で60名中50位という順位。調子悪いのかな・・なんて思いながら、翌日の大会エントリのために横浜に向かった。

会場に着くと、女子の部はすでに終了しており、まさに表彰式の直前。そして、表彰台3位に立ったのが、その50位でスイムアップした身長153cmの小柄な選手だった。



50位から3位へ。ザ☆47人ゴボウ抜き。しかしこれは「奇跡」でもなければ、単なるスイムパート後に追い上げる「根性」、ではない。

トライアスロンは3種目後にリザルトが決まる。スイム・バイク・ランの各得意分野に合わせてレースを組み立てて実行する。またエリートのバイクパートでは、変わりばんこで前を走りスリップストリーム(風の抵抗避け)を享受しあって進むことができるから、先頭に追いつくために、その場で戦況を読んでライバルと瞬間的に協調し合う戦略を画策して実施する。

求められるのは、海外のデカくパワーもスタミナもある選手に負けない体力だけでない。戦況に左右されず、落ち着いて現状を捉え、戦略を組み立ててトップを狙う冷静な知略が求められる。努力と経験に支えられた真の実力者だからこそ、可能なワザ。

国際大会という大舞台の環境において、翌日は自分自身も泳ぎ漕ぎ走る場所の目の前で、国旗掲揚ポールの3番目に日の丸を見ることができたのは、感動的でさえあった。



これまでマラソンやアドベンチャーレース、自転車、トレランなど色々なレースに参加してきたが、気持ちが高まることはあっても、あまり上がったり緊張したりすることはなかった ・・・少なくとも自分の気持ちの上では。

しかし、ことトライアスロンでは、なぜだか心拍計や走行データを表示するデバイスの使い方を間違ったり、忘れたりすることが多かった。それはきっと無意識に緊張している表れだったのかもしれない。よって、今回は冷静に自分が置かれている状況を捉え、自分のペースで試合運びをすることを定性的な目標とした。そして定量的な目標としてサブ3を設定。その気持ちの支えになったのが、この横浜大会第3位で劇的な逆転劇をやってのけた、上田藍選手の冷静な試合展開であった。


・スイム:周りに影響されレース初番で飛ばしてしまい息が上がり、「なんでこんな大会に出てるんだろう・・」と毎回後悔。だから息が過度に上がらないように、足が攣らないように、バトルを避けゆっくり足を残しながらブレスト(平泳ぎ)とクロールの混合泳法。時折青空やカモメを見上げてリラックスしながら。

・バイク:よく頑張って無理に踏みすぎて、ランの時には足にガタがくることが多い。だから、心拍・速度・ケイデンス(回転数)・距離・時間の5項目をサイクルコンピュータ等の複数のデバイスをモニタリングしながら走る。飛ばせる区間は時速50km以上で駆け抜ける爽快感を味わいながら。

・ラン:バイク後は筋肉の使い方が異なるから、すぐにはスムーズに走れない。ただタ無理に走ると後から動かなくなるし、攣るリスクも高まる。よって最初3kmは給水所で受け取る水を足にかけてオーバーヒートを抑えつつ、徐々にスピードを上げる。沿道に鈴なりの応援してくれる人にハイタッチしながら。


大会ごとにコースや天候が異なるため、一概にはタイム比較できないが、過去に参戦した大会のなかで自己ベストを記録。それ以上に、それぞれのパートで冷静に自分の状況を判断し、どうすべきかを考えながら意識的にレース展開できたことは、非常に満足度が高い。それも彼女の興奮の中における冷静な行動に、心支えられた。

そして、トライアスロンという競技の新しい魅力に気付くことができたのも嬉しい収穫。来年はミドルとよばれる70.3マイルの中距離大会にエントリーしようかと浮かれるほど。

次は8月末の大会。また楽しいレース展開ができることを願うのみである。


デキる人とそうでない人の違い
人は日々、様々な欲求の渦に飲まれながら生きている。

欲求を持つ事は生きるために不可欠だし、それを完全に否定するのは死か神を意味するとさえ思う。

しかし、当然ながら欲求にも社会的善悪があるし、人様に迷惑をかけなくても、自分自身の中での善悪も存在する。前者は言わずもがな、後者については自分の中のもう人の自分と対峙する事がよくある。

欲求説では、マズロー様の有名すぎる理論があるが、そんなに崇高なものではなく、もっと人間臭いヤツ。前向きな欲求はたくさんあっていいと思うが、悪とまではいわなくても、ネガティブな欲求、つまり自分にとってよくない方向へ流される事は対処を考えなくてはいけない。



自分の中にも3種類くらいのネガティブ欲求が存在し、それらのいくつかを日々感じながら過ごしている。

★タイプ1 : ダメだとわかっていても、ついやりたくなる衝動的欲求
→例えば、アマゾンで爆買いとか。

★タイプ2 : 良くはないけど、たまにはいいか・・・と許せる妥協的欲求 
→例えば、夜中の豚骨ラーメンとか

★タイプ3 : やるべきだけど、ん〜・・・という怠慢的欲求 
→例えば、早起きとか

ネガティブ欲求。それは人生の堕落への囁きといっても過言ではないかもしれない。それらを律するのが理性ある人間であると思うと同時に、すべてを管理できたら、それはそれで満たされない人生のような気もする。完璧でなくてもいいという条件のもとで、出来る限り頑張ってみる、という折衷がちょうどいいのか。



現在、一部上場企業の組織開発&PMI案件で関わっている社長は、本当にスゴイ。

何がスゴイかって、やると決めたら自分に言い訳しない、という姿勢。時折頑張りすぎるところも見かけるが、その屈強な意思はいつも見習いたいと思うほどである。苦しい時に自分から逃げないからこそ、企業がどんな状態でも立ち直らせる(彼は起業家ではなく再生家である)。

逃げ癖、つまりネガティブ欲求にかられればかられるほど、現実はズルズルとよくない方へ転がる。少なくともいい方向に転がる事は皆無である。それを知っているからこそ、自分の言動に厳しいし、踏ん張るべきところを踏ん張れる。

これは社長だけでなく、人生も同じ。デキる人とは、ネガティブ欲求を「管理」デキる人かもしれない。人はメンドクサイ事はやりたくない。誰でも同じ。でも、やらないといけないことを、いかにしてやるか。その強い気持ちは、単純に意思によるものだけなのか。


甘えたくなる気持ちと日々戦いである。

t 検定? 学習のし直し。
自分ではあまり自覚していないが、勉強は以外と好きかもしれない。 と思うことが良くある。

社会人2年目から大学系の語学学校やビジネススクールに通ったのも、勉強好きが根底にあったからのような気がする。一方で、今や安定性を何ら担保しない企業の名前に頼るリスクを感じ、個人としての市場価値を高める目的も持っていたのは事実。ゆえに、学ぶということが苦ではないことには変わりない。

これを単純に知識欲求や好奇心が旺盛、といえばカッコイイだろうが、学ぶことが好きな更にその奥には、「目的」が存在するからであろうと思う。

逆にいえば、目的や目標なしでは趣味すらまともに続かない。なんとなく楽しい、だからやる。というのは僕の中にはないのかもしれない。これまで消えた幾つかの趣味を振り返っても、確たる目的や目標がなかったからだろう。



論文のフィードバックがあった。

前回の論文ではこれでもか!というくらいフィードバックをいただいたが、今回のそれは、少なくして激重なものであった。

今年の一発目は先行研究レビューではなく、対照実験の分析から導出する仮設の立証である。これまで仕事で取得してきた数百のアンケートの一部を分析し、そこから業務の経験則的に確信している法則を理論化する試みである。

定性分析と定量分析の両面からアプローチしたことについては高く評価されたものの、定量分析の方法論に壮絶クリティカルな意見をいただいた。今の分析は話にならん、「t 検定」や「分散分析」などを使用して、厳密に行なわれるべきである、ということである。

なるほど!(ポン) ・・ で、 t 検定 って何だっけ?聞いたことはあるが。。(宅建?なわけがない)。

そして、担当教授からクールな追い打ち一文。学部レベルの統計学から学び直しなさい、と。



今からほんの一部だけでも t 検定とやらを学んでも論文の再提出期限にはおそらく間に合わないだろう。というわけで、すっぱりとあきらめて、早速書籍を注文した。超簡単な入門編、くらいな勢いのレベルから。

研究のための学び直しなのである。

仕事で取り入れる様々な最新理論や意見は知識欲求のままに学ぶのだが、勉強のための勉強は腰が重い。しかも、難しい統計学なんて・・・。と思う反面、僕が証明して発表しようとしている理論の裏づけが強固になるなら、それはそれでやりがいがある、かもしれない。救いは、エクセル様。

今時の時代はパソコンという魔法使いが計算をしてくれるので、とにかく統計の概念から学習し、どんなことを証明するために、どのようなデータを用いて、どのように算出して、結果をどう解釈するか。次の論文提出機会までの自分の宿題である。


GWの半分は仕事。半分は・・・ロードバイクにも乗りたい。悩ましい。

新しい行動、そして仲間
東証一部の経営者にもベンチャーの新人にも、コンサルや教育現場において、常に常に常に伝えている言葉がある。

『虚から実へ』

僕なりの解釈は、意気込みも決心も宣誓も、行動=『実』にうつさなければ、全てウソ=『虚』である、という意である。

仕事も人生も、行動なくして現実は何一つ変わらない。常にそんな想いを大切に生きている。それが自分自身と未来を変える可能性の根源だと信じているからである。

先日、ちょうど4月という年度始まりのタイミングも重なり、ロードバイクを単なるトライアスロン競技の一部から、「趣味」に格上げさせた。つまり、趣味なら本気で取りくめ!という自分なりの決心でもある。しかも、トライアスロン専用バイクを持っているにもかかわらず、ロードバイクを入手するという「投資案件」的昇格である。

とするなら、その「本気」とやらを行動に転化しないとならん!!ということになる。



見つけた。
子供を持つ親父ライダーの、親父ライダーによる、親父ライダーのための地元チームを。

嫁子供と書いてBOSSと読む「家族」と「趣味」の対極的バランスをとるために、あの手この手を使って、いくつもの制約条件をくぐり抜けながら活動する集団である。

特にロードバイクは大人のオモチャとして、それなりの初期投資が必要な趣味の一つである。そして上を見たらキリなくなけなしのオコズカイをつっこんでしまう恐ろしい「沼」的要素をも付帯する。カメラ好きが陥る「レンズ沼」のように。

この最初にして最大のハードルを超え、そして次にまちかまえるのが「時間」というハードル。やっぱり趣味には数時間から半日、できれば1日でも使いたいもの。でも家族持ちの週末はそうはいかない。

結果、なんとか初期投資に成功した人は、平日の己の姿勢を正しながら、「BOSS」たちから週末の趣味の時間の許可をいただけたメンバーがSNSで仲間を集い、早朝に集まってガシコガシコと50-100km漕いで家族の朝食前後に帰宅して、週末の親父という役割責任を担い始めるのである。

泣ける。あまりにも共感できる。



こうしてネットを通じて、リアルにつながったチームメイト達。

おそらく平均年齢45歳くらいの、地元と家族を愛する粋な自転車乗り。多分年齢も近く、家族関係も似通っており、自転車に関しては相当の愛を持っている。。。感じ。彼らのマシンのこだわり具合を見れば、愛着度合いというか、ハマり度合いがわかる。そして、ざっとみても軽く50万円はくだらない。


先週末、初顔合わせライド〜なんて軽いノリで7名が集結した。もっとマシンのこだわりから推測しておくべきだったか、初回といえども走ったのはいきなり75km、それもそこそこのスピードを維持して。ニコニコしながら、ガチに漕ぐ。最近始めたばかりの仲間がいることから40-50km程度しか走っていなかったため、いきなり洗礼を受けた感じ。

それでもやっぱり仲間が増えるのは嬉しいものである。

いや正確には「共感しあえる仲間」、という言葉が正しいかもしれない。事象に対して、喜怒哀楽のバイオリズムがシンクロする時間が多ければ多いほど、自己肯定感にもつながるし、所属欲求の充実を享受できる。そして、カイシャという人のつながりのように、責任や義務、そして利害関係までを負っているものではなく、自分の好きなことで自然に拡大する人間関係において生じる輪=「和」は非常に心地いい。それが地元ならなおさら。


小さな行動がこれからの趣味生活を充実することになりそうである。
趣味への意識的格上げ意識的格上げ
30代半ばからドップリはまったアドベンチャーレースは、実は最も好きなスポーツである。

のべ20年以上やっているサーフィンも好きだが、どちらかというと心の安定のため的な位置づけである。一方、アドベンチャーレースは、アドレナリンどくどく溢れ出る、生きることへの刺激を求めるような位置づけ。

しかし、チェックポイントを取得しながらトレラン、カヤック、マウンテンバイク、ナビゲーション、クライミングなどの野外複合競技を3人一組で走破するという、ドが付くほどの ”THE★変態レース” だけに、競技人口が圧倒的に少ない。チームメイトが脱落すると出場すらできない。

結婚や子供の誕生などチームメイトが減っていくのは、悲しいかな、個人の人生ステータスの変化とともに仕方のないことなのである。そんな制約条件の限界から、40歳を境にトライアスロンへ転向。



トライアスロンは、スイム→バイク→ラン という種目だが、過酷なスポーツであることは変わりなく、なんらかのモチベーションがなければ続かない。モチベーションはヒトそれぞれであるが、一つには「ギア」つまりモノ=カタチにこだわり所有欲を満たすことがあるように僕は思う。例えば、この「シューズ」を履くと早く走りたくてウズウズして気合が入る!とか、この「水着」は大好きだから何キロでも泳ぎたい!とか。

それらに以上に、トレーニング意欲と所有欲を満たしてくれるものが、自転車である。

古今東西、なぜか男性はメカモノ(時計やAV機器等)やシャリン系(車・バイク・電車等)が好きな人が多いと言われるが、僕も多分にもれず車も自転車もこだわりたいタイプ。つまり、トライアスロンを続けるトレーニングのモチベーションの源泉の一つに、好みの自転車を所有することが欠かせない。

そんなことを言い訳に、デビュー戦で50.5kmのショートの大会で3時間を切ったことから、トライアスロンを真面目に取り組もう!と決めて購入したのが、トライアスロン専用のバイク。これといった理由はなかったが、なぜか多くのヒトが乗っているロードは抵抗があった。どうせやるなら本格的に!と言い訳をして、ロードバイクとはコンセプトもジオメトリも乗り方も異なる、ハンドル部分が飛行機の翼みたいになっているマニアックな「トライアスロン専用車」になったのである。



最近ひょんなことから出会った、地元の自転車カフェ&バー。

聞こえはいいが、実はロードバイク乗り「だけ」をターゲットとした排他的カフェで、自転車チームもトレーニングルームもメカニックガレージまでを併設する、マニアック中のマニアックな「溜まり場」であった。それもそのはず、マスターは30年近いロード乗り、店長である息子は自転車競技でインカレや国体出場経験を持つガチレーサー。さらに友人である実業団レーサーやプロ、競輪選手までも訪れるという。よって、話題も濃すぎるくらいに大会と猛練習のことばかり。

50km程度(ロード乗りは「近距離」に相当)を長距離と称して乗ったことを言い訳に、ヨユーでカロリーオーバーするご飯を堪能する地元の自転車乗りチームには、ガチすぎてドン引き。。。。 したが、裏を返せば、本格的に練習するチャンスとも言える。この出会いは、トレーニング兼ねてガシコガシコと自転車に乗って身体をシェイプするチャンスにもなるはずである!一人そう思ったわけである。

そこで、トライアスロン用バイクでも参加できるか尋ねてみた。→ 「ダメじゃないけど危ないから最後列で離れて走るなら、まぁいいよ」 (上から目線)。

トライアスロン専用にこだわったことが仇になった。だったらロードを買えばいいんでしょ、買えば!と鼻息荒く帰宅。最近地元仲間がいいロードを買って、心が揺れていたこともあるが。そんなこんなで、ロードバイクを新古でゲット(もちろん、こだわりにこだわって、思いっきり所有欲を満たすバイクにしたのは言うまでもない)。


こうしてトライアスロンの一種目でしかなかった「自転車」というスポーツが、「ロードバイク」として ”趣味” に出世し、これから加速的に暖かくなる春、新しく苦しく楽しい(だろう)遊びがスタートする。所有して満足→インテリアにならないように、チームの練習会に参加して、心身ともに加齢に抗おうと密かに決心する。
春、ようやく、一瞬だけ一息
1月下旬から始まった怒涛の日々が、ようやく落ち着く。

おそらく、起業してからこんなにも忙しい期間はなかった!と感じるほどに、よく動きに働いた。

大手の大型教育PJの設計と運営(登壇)にかなりの時間をつぎこみ、合宿3連発を実施して焚火を囲んで議論し、時間の合間を縫ってコンサル資料や報告書を作りこみながら組織変革案件を支援し、そして講演会で聴衆に向かって語りかける。

室内だけの仕事ならいいが、合宿はアウトドアだし、就寝時間も深夜1時2時は当たり前。出張も日本全国津々浦々。

この多忙期の最後の出張の地である、富山県魚津市での講演会を終えた。これで東京に戻れば、少し落ち着く(予定)。忙しくないというわけではないが、長距離移動を伴って身体を酷使するのはひと段落。

よくぶっ倒れなかったな、自分。
いや、ちがった。 珍しく一瞬だけ身体を壊して、39度の熱を薬で抑えこみながら仕事したか。



そして、少し走りきって日常を直視すると、危機感を覚える。

ヤバいこと、その1) 4月上旬提出の大学院の研究論文が全く進んでいない
ヤバいこと、その2) 5月中旬のトライアスロン大会の練習ができていない


あまりにも仕事にフォーカスしすぎて、それ以外が全く手抜き状態。ワーク・ライフバランスならぬ、ワーク・スタディ・ライフバランスを上手にとっていたと思っていたが、いつの間にかワークのみ。おかしい。実におかしい。

まぁそれだけの仕事を入れたのは、他ならぬ自分自身であるが、ちょっとヤリすぎたか?



そんな風に働いてきて感じる事。

自分の市場価値をもっと高めて、レバレッジを効かせられるようにならねば。。。ということ。不遜かもしれないが、より高度で価値の高いアウトプットが求められる仕事を選び、徐々にシフトしていく必要があるだろう。

そのためには、さらに勉強と研究を重ね、仕事に反映させ、その結果を内省しまた勉強しながら価値を高めていくサイクルが不可欠。オンリーワンの武器を持ち、競争優位性を高め続けることがだけが、市場価値の向上につながる。そうすれば、多少は仕事以外の時間も増え、さらなる好循環も生じるだろう。


日々の努力だけが、自分を遠いところまで連れていくのだ。そう考えると、忙しいとか、時間がないとかいうのは単なる甘えでしかないのだ。自分に言い訳してたら始まらない。

「いつやるの?」「今でしょ!」は、単なる流行語ではなく、身にしみて分かる名言(は大げさか?)のような気もする。そろそろ桜も咲きはじめる「始める春」。ちょっと休んだら、またスタートである。

組織が変革する、片鱗。
ある地方都市の会議室。集まってきたのは30-40代の若手十数名。

「変革って言ったって、またどうせ張り子のトラでしょ・・」
この時は、そんな声が聞こえてきそうな、まだ彼らはノホホンとした顔つきで談笑しっぱなしだった。

投資会社あがりのキレッキレの社長に元に、別会社の社長としてのオファーがあったのは半年前。一部上場の時価総額数百億円の中堅企業は業績はここ数年微増傾向を維持して安定的な銘柄であるが、それは人的資源に起因するものではなく、ビジネスモデル自体がもたらす競争優位性の賜物だった。

一方で彼は、その背後に潜む組織的課題のにおいをかぎ取り、抜本的な変革をしないと会社が危機的状況に陥ることを感じ取ったという。また同時に、その課題を乗り越えれば、ビジネスモデルなら更なる拡大路線を展開できる可能性をも確信していた。



そんな折に、以前PMI(合併後の企業融合)プロジェクトでかかわった僕に「組織変革プロジェクト」の社外パートナーとして参画依頼があり、快諾後、数カ月間にわたり毎週のように変革プランを議論した。

今年1月からそのプロジェクトが正式にローンチし、ステークホルダー、マーケティング、ファイナンス、組織等の様々な調査と分析に走り周り、その結果を踏まえて、変革をリードする十数名の志士を選考しキックオフの場であった。

和やかなイントロから始め、その場は何でも言い合える環境と心理設定を整える。

ワークショップが進むにつれて、メンバーの表情が硬くなってきたのがわかる。極めつけは、定量と定性による組織分析結果を僕が説明した時だった。

あまりの惨状に愕然とするメンバー。それもそのはず。彼らのほとんどが一応部署やチームの責任者として現場を率いてきたはずなのに、ここまで不満が鬱積していたことはツユも知らず、単なる末端の感情論として流してきた「罪」が、グサグサと脳に、心に、突き刺さり始めたのだ。



そして、ポロリポロリと反省論がこぼれ始める。小さな声で。泣きそうなメンバーも。

それを見た新社長は、ニヤリ。彼もまた、過去の投資先企業の再生時に同じ景色を見てきたのだろう。

変革が失敗するほとんど原因が、促進するメンバーに徹底的な自責・自戒の念が根底にないことに起因することをわかっていない経営者やコンサルタントが多い。変革開始直後は、解決手法等は後回し、まずは革新メンバーの「自分が悪かった」という自責と反省に身を正すことから始まる。


まさに、その目的は6時間というワークショップで達成された。

かくして、変革チームに選ばれたメンバー全員の心に本気スイッチが押され、賽は投げられたのだった。これから、炎の変化期が始まる。


うまくいくかどうかは最後まで分からない。しかし、それを上手くいくように働きかけ、顧客が望む以上のアウトプットを出して社長から感謝されながらEXITする時の『達成感』はコンサルタント冥利に尽きるというものだ。

ハンズオン型の組織変革コンサルタントとして起業して11年目。この”変革”が動き出す瞬間のワクワク感はたまらない -まさに中毒… まさにこの仕事はやめられないのだ。

ニコニコしながら、刺す。
原因不明でマックブックが即死した。

一生懸命OSが立ち上がろうとするが、すぐにフリーズしてブラックアウト。
購入してからまだ1年も経っていないのに。

慌てなくて大丈夫(と言い聞かせる)。

すべての資料は10年前からクラウド管理しているし、不定期であるがバックアップもとっている。重いが重要な資料はSDカード部分に128Gのストレージに格納されている。

ただ面倒なのは、現状復帰のための様々なソフトの再インストである。BOOTCAMPでWindowsを積んでいて、これまた再インストが必要だから。



AKBの某大型◯◯カメラにあるアップル公認の修理ガレージに持ち込むと、モニタの異常だけでハードディスク(正確にはSSDか)は異常ないとのこと。手続きを済ませて、1週間ほどで退院できるらしい。

ここまでは順調。


無事モニタ交換が済み引き取りに行くと、もともと貼ってあったアンチグレアのフィルムがない。Retinaディスプレイは綺麗だが、鏡面処理が逆に僕には不快だったため、購入直後からフィルムを貼っていたのだ。

フィルム自体は再利用できるため、返却をお願いしたところ、修理工場の交換前パーツについているとのこと(通常は修理に出す時点で取り外すか、付属品管理として扱うらしい)。ショップ側のミスということで、工場から取り寄せてPCへの貼り付けるまでの基本的な「現状復帰」を申し出てくれた担当者は、非常に気持ちい対応だった。

さすが、アップル。と感じたのもつかの間、問題はその後だった。



端っこ、折れて気泡入ってるよう見えるけど?とフィルムが再度貼られたマシンを見ながら確認する僕。もともと綺麗に貼ってあったし、A型の血なのか気泡やズレは気持ち悪いのだ。

すると、店員様はこう のたまいよった。


「使用に差し支えありませんから」


今度は僕がフリーズ。いやいやいやいや、どの口が言っとんじゃーっ!という気持ちは抑え、比喩を用いて説明を試みた。

「あのね、あなたが誰かにiPhoneを貸して、借り手が落下させて画面バリバリに割れた状態で、”いや、通話はできるから大丈夫です” って返してきたらどうします?」

「いえ、フィルムを剥がすときに折れスジが入っただけで、モニタは見えますから」と、超不機嫌な表情で目を見ずに回答。


僕はニッコニコの「笑顔全速力」で言った。

「悪いけどさがっていいよ、責任者に代わってもらえる?」

さっきの数百倍不機嫌な表情丸出し。近くでそんなやりとりを見ていた、マネージャーらしき若い女性がすっ飛んできた。事情を説明すると、すぐに代替品を準備するとのことで本修理案件は落ち着いた。


いや、ビックリ、というか なんだか自分が悪質クレーマーになった気分。なんて話を仲の良い社長に話をすると。

「購入も修理もアップル直営店舗に持っていかないとダメだよ。物以外のブランド感はブランド店にのみ宿る。」

ごもっとも。無形ブランドは間接的になると、無形ゆえの品質も劣化するものなのか…。考えさせられる日常の一コマであった。

今年最後の学会、終了。
時は、師も激走する12月。しかもすでに後半戦。

通常では、自社が主事業としている領域は徐々にスローに入る。顧客の忘年会等への列席は別としても、中旬を過ぎるともうほとんど正月モードのようである。

のだが、今年はなんだか違う。いい意味で、毎日があっという間に過ぎていく。

最近、上場企業との取引が激増し、大型案件を抱えているせいだろうか。仕事というと、常に考えているか、資料を作り込んでいるか、議論しているかだ。その時間は、自分にとってはとても心地いいもので、「嗚呼、脳みそ使ってるなぁ」と感じる瞬間でもある。その充実感を存分に味わっているからもあるだろう。

それに加えて、年最後の学会発表が控えていた要因も大きいと思われる。。



ある週末。
ねずみの国の近くから多摩の山奥まで、片道2時間かけて向かう先は、僕の第一の母校、中央大学である。とはいっても、卒業してからぼちぼち20年が経過、大学名に触れるのは正月の箱根駅伝くらいである。逆に、ここ数年は母校は大学院生活を送っている明治大学の方がシックリくる。

その中央大学に、懐古的に向かったのではなく、学会発表会場だったからである。

昔は最寄駅の多摩動物公園駅から山の中を通り、「山火事注意」の看板を右手に見ながら登り、トンネルを越えて20分かけて通った。しかし今はモノレールが走っているため、駅を降りればそこは大学。

ザ★青春時代を思い起こしながら、構内を歩く。久しぶりに学食を楽しもう!なんて企んで昼食を食べずに向かったが、日曜日だからか、完全休業。日本を代表する4階建ての超巨大な学食のくせに…(T.T)



発表は、午後のセッションの一発目。

昨年の大会はアクセス抜群の都内、気持ちいい冬晴れだったが、オーディエンスは6名程度。今年は天気は微妙だし都内より3度ほど気温低い山奥だし…ということで、あまり人は集まっていないだろう。と思いきや。

各セッションの教室は小ぶりなサイズだが、結構な人数が聴講に訪れており今回は20名を超えている。とはいえ、オーディエンスが100名だろうと500人だろうと発表時は気にならない。それ以上に、フロアからの質問がどんな弾が飛んでくるかが分からないことの方がドキドキである。なぜなら、聴講者は大学の教授やら学生やらの「研究者」がメインゆえに、マニアックな質問や重箱の隅をつつくような疑問が投げかけられるからである。

さすがに昨年は学会発表自体が人生初めてで多少緊張したが、今年はすでに英語での発表を2本やったし、プレゼンテーション自体は得意なので、発表は20分間キッチリで終了。その後の緊張の質問タイム… 幸いなことに意地悪な質問はなかったが、回答しても回答しても手が挙がり続ける。結局もち時間をオーバーしても続くため、一度終了。次の発表者が終わったあとの休憩時間に持越しされた。

休憩時間にも複数の人と質疑応答。同時に名刺交換も出来るからありがたい。自己紹介もかねて話していると、そのうちの一人の先生から、「何か一緒に研究できたらいいね」というオファーをいただき、数日後のメールで年明けに打ち合わせすることに。


何が起こるかわからないものだ。

来年は仕事の面でも研究の面でも忙しい事がすでに予想される。というか、3月までは激務が続く。そして、もしかしたらキャリアの面でも大きな大きな変化があるかもしれない。


今週いっぱいまでガッツリ働いたら、つかの間の休息を楽しみたい。
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